髪型やピアスTATTOO外見なんて関係ないはず

「親からもらった大切な身体を傷つけてはいけない」

そんな大義名分を掲げ、朱に交わることが正しいとされている。

交われないとなれば、世間からは「常識外れの悪い奴」というレッテルを貼られてしまう。

「皆がそうしているから」「普通はそんなことしないから」

そんな具体性のない浅い理由で、さも正しいかのように意見を掲げ派手髪やピアスやTATTOOやカッティングを否定し、それを刻む人すらも否定する

生物は美しいもので、そこにアートを刻むということもまた美しくて尊いことだというのがボクの意見

どれだけTATTOOやピアスまみれでも良い人もいれば悪い人もいる

どれだけ品行方正な外見を装っていても良い人もいれば悪い人もいる

目を向けるべきは外見ではなく、何を根拠に何を言っていて、そして何をやっているか。そしてどんな信念を持ち生きているか。

しかしながら子供の頃から朱に交わることが正義と教わり、交われない奴は怒られて当然という光景を見せ学ばせる

それを見て学んだ子どもたちは、「普通じゃない」「皆と同じじゃない」そんな人は否定し叩いても良いと学び、それが正しさだと学ぶ

まさにこれはイジメの根源で、上手く交わることができない、皆と外見が違う人は人格すらも否定され袋叩きにあう


果たしてそれは正義と言えるのか?

どんな根拠に基づいた思想でその正義を掲げているんだ?

キミは皆と同じく朱に交わり、”正しく”生きているのか?

そうだとすれば、誰かを叩いても良い権利を獲得したことになるのだろうか


誰かと同じ人間なんて存在しないし、それぞれ皆違っていて皆尊い

外見はもちろん、考え方や思想や価値観はそれぞれの人生の中でそれぞれに形成され、それらをリスペクトし合うことで世界は平和になると思う

ボクは人と違っていて当たり前だし、キミも人と違っていて当たり前

そこに正しさや間違いなんてなく、そうある姿や考えで生きれば良い

叩きや騙しのような、明確な悪意を持って傷つけることをしなければ、どんな生き方をしても良いと思うし、どんな格好をしても良いと思う。

髪型やピアスTATTOO、身体改造は表現やアートだし、もちろんオリジナルの状態もアートだ


「世間」という、実態も具体性もないなんとなく出来上がった空気や、幼い頃に植え付けられた洗脳が溶けなければ、人と違っていることに悩み続け、ひたすら朱に交わろうとあがくことになる。一生。何故ならその「世間」はメディアの報道や先導によって時代とともに変化していくものだから。

常に世間と自分が乖離していることに悩み続け、人を叩くことで自分を肯定しようとする

少しでもその実態のない世間と一致した価値観を得たとなれば、安心感からかまた人を叩いて肯定感を高めようとする。

先生や親がああ言ってたから、雑誌やニュースにこう書いてたから

そんな、自分で考えて出したわけでもない答えに悩まされ続け、人を叩いて自分を肯定し安心しようとする

それがキミの幸せなのか?それがキミの掲げる正義なのか?

「親からもらった大切な身体を傷つけてはいけない」

それなら怪我はもちろん風邪をひくことすら悪になってしまう

そんな矛盾にすら気が付かない


どんな外見や姿かたちでも、みんな尊くて美しいよ

髪型やピアスTATTOO外見なんて関係ないはず


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