成人式から思うこと
娘の成人式の集合写真をiPhoneで撮ったのを見返した時に、女の子で1人着物ではなく、スーツの子がいたことに気がついた。
娘の成人式の集合写真は、地区ごとに2回に分かれて撮っていたので、娘と同じ地区じゃない子の中にはまだ着物じゃない子もいたかもしれないけど、気がつかなかった。
そこで、小学校の卒業式の時のことを思い出した。
娘の小学校卒業式の時には、袴で参加する子はまだ少なかった。
都会では多かったみたいだけど、この辺ではそんなに普及していなかった。
娘は、袴姿に憧れはなく「着たい」と言わなかったので、どのくらい大変でどのくらい金額がかかるのかわかっていなかった。
袴を着ると、トイレも大変だということも全く知らなかった。
後ほど聞いたら、まぁまぁお金がかかるようだった。
まぁまぁというより、結構かかるよね。
髪もセットしてもらわないといけないしね。
着付け代とか。
なので、娘に「袴でもいいよ」と軽い気持ちで言っていた私だったが、あの時娘が「着たい」と言わなくて良かったと、少しホッとしたのも覚えている。
娘は、卒業式の時、私の職場の同期から借りたスーツだったので、実質0円で準備出来たので、それはそれはありがたかった。
娘の小学校卒業式、同級生の中には、袴でもなく、スーツでもなく、普段着のちょっと上くらいの服装の女の子がいた。
しかもスカートではなく、パンツ姿。
袴姿やスーツ姿の中に、普段着姿の彼女は、私の目から見て、堂々としているように見えた。
決して、みんなと違う姿に、惨めな思いを抱えながらいるようには見えなかった。
逆に、みんなと違う服装を選んだことを誇りにさえ思っているように私には思えたし、そんな姿に、私は尊敬の眼差しで見ていた。
実際にはわからないのだけど…。
その女の子が、今回のスーツ姿の子だったのかは、ちょっとわからないのだけど、みんなと同じ選択をせずに、スーツ姿で成人式に出席したことを私は惨めだとは決して思わない。
だんだん、時代の流れと共に、この辺でも袴で卒業式に出る女の子が増えていき、息子の小学校卒業式の時は、2/3以上は袴姿で参加していたように思う。
息子が5年生くらいの時だったかな…?
PTAの役員の集まりがあり、各学年の保護者の方たちと先生たちとの話し合いみたいな時があった。
その時の6年生の保護者の方から、卒業式の服装について意見が出た。
その方がおっしゃるには、袴で卒業式に参加するには、自分の家の金銭事情により、ムリなので、娘には我慢させるしかなく、惨めな思いを娘にさせることになるので、全員中学校の制服で卒業式に参加するのが好ましいと思うという意見だった。
と、いうのも、この辺の小学校卒業式は、昔、中学校の制服で参加する風習があった。
しかも、今もまだその風習が残っている小学校もあり、またその風習に、戻している小学校も近隣であることから、この学校もそうするのがいいんじゃないかという意見だった。
服装によって、貧富の差がわかってしまうので、制服での参加にするのが平等だという。
数名はそのように思っているから、考えて欲しいと。
うーん…。
気持ちはわからなくもないけど、私はその意見に賛成は出来なかった。
せっかくの卒業式に、我が子の晴れ姿を可愛くしたり、かっこよくしたい、そんな想いを持つ親御さんもたくさんいる。
ただその反面、その卒業式1日だけのためにお金を使いたくない人もいるのかもしれない。
制服なんて、これから3年間着るんだから、なぜ小学校の卒業式で中学校の制服を着なくてはいけないのかという意見を持つ人もいた。
娘が、もし卒業式に袴を着たいと言った時に、金銭的事情で、それを叶えてあげることが出来ず、子供がガッカリする姿をみたら「堂々としてなさい」なんて言えないのかもしれない。
「お金がなくてごめんね」
「こんな家に産んでごめんね」
「〇〇じゃなくてごめんね」
常に満たされない何かにごめんねの気持ちを添えてしまうかもしれない。
んー、けどやっぱり違和感。
〇〇を添えて、なんて高級なレストランみたいじゃないか。
新鮮アスパラガスを添えて。
けど、ごめんねの気持ちを添えては、子供にとって迷惑だ。
笑顔を添えての方が断然いい。
「貧乏でごめんね」ガハハハハのソースと共に。
そのくらいでちょうどいい。
ごめんねはつい思ってしまうこともあるけど、それをずっと思いながら生活したくないな。
子供たちには、思い通りにさせてあげることが少なかった。
我慢をさせてしまうこともたくさんあった。
理不尽な思いもさせてしまった。
みんな持ってるから〇〇が欲しいと言われても買わないこともたくさんあった。
そもそもその願いを全て叶えてあげることだけが親の努めなのか?
叶えてあげられるのならすればいいし、出来ないなら出来ないなりの学びがあるはずだ。
トラウマになってしまうことも呪縛をかけてしまうことも親はしたくはないだろうけど、少なくともしてしまう。
けれど、その中で子供たちだって学んでいく。
その成長することを奪うことはない。
って考えてしまうのは勝手かな?
自分にもあった親からの呪縛で、辛い思いもしたり、生きづらさを感じてしまうこともあった。
けど、それがあったからこその成長や気づきもあったはず。
だから、全て必要なことと思えば、ごめんねはいらないんじゃないかなって思う。
宿題を出す先生が「ごめんね」と言いながら宿題を出したりしない。
そんな感じ?
傲慢になることはないけど、謙虚になりすぎることはないかなって思う。
勝手すぎかな?
学校の話し合いの中で、卒業式の服装だけではなく、給食の話にもなった。
その時の詳しい内容は忘れてしまったけれど、アレルギー持ちのうちの息子には、そぐわない内容を要求する保護者の方がいた。
私は内心「それをやってもいいけど、うちの子は食べれないかもしれないし、あんまり関係ないなぁ」くらいにスルーして聞いていた。
すると、隣にいたママ友さんが、後から「あれはアレルギー持ってる子のこと考えていない意見だよね」と、少し怒りながら私に言ってくれた。
『うちの子は袴が着れないんだから、みんな着ないで』が平等と考えた場合、
『うちの子は食べられないんだから、みんな食べないで』になるのだろうか?
それが平等だろうか?
それは違う。
かといって、うちの子は惨めだろうか?
それも違う。
みんなと一緒じゃないことを惨めと考えるのではなく、どうしてそうしなければいけないのかを考えるきっかけになったらいいんじゃないかなって思う。
本当にお金が厳しいのであれば、お金のことを考えるキッカケになるのかもしれない。
安く手に入れられる方法をみんなで考えることもあるかもしれない。
本当に袴が着たいのかとか、そのメリットとデメリットを考えるのもいい学びになると思うな。
貧乏=惨めと考えることはないと思う。
あ、それを言ったらアレルギー=かわいそうも違う。
よくアレルギーと言うと「かわいそう」って言われることが多かったけど、そりゃ、かわいそうなことや大変なこともあったけど、食に向き合うキッカケにはなったよね。
私は、適当母さんだし、息子のアレルギーもひどくはなかったので、きちんとやらなかった。
けど、息子がいなかったら、材料に何が入っているのかなんて、興味も持たず、何も気にせず口に入れていたと思う。
なので、息子には感謝している。
かわいそうな子ではなく、感謝の子です🥰
長くなってしまいましたね。
成人式の服装からアレルギーのことまで考えてしまいました。
成人式に何を着るかも、成人式に出席しないことも、卒業式に何を着るかも、みんな選択して決めているんだから、堂々としていて欲しいと思います。
卒業式で袴を着なかった娘は、高校生になり、書道ガールをやり、袴を着た。
チャンスは思いがけずやってくる。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
幸せをありがとうございます🥰