一元観エピソード14〜有沢このみさん編〜
時間というのは無限?有限?
好きなことをしている時は自分というのはあっという間に過ぎていく。
焦っている時も時間というものは速く感じる。
逆に嫌なことをしている時や眠くて仕方なくて早く休憩時間になって欲しいと思っている時の時間の過ぎ方は異常なほど遅く感じるものだ。
同じ時間であっても。
一緒にいる人に「今何時だと思う?」と聞いて時計を見ないで答えてもらい、その時間が本当の時期より早かったら自分といる時間は楽しく心地よい時間で、逆に遅く言ったら退屈でつまらない時間を過ごしている…という心理テスト⁉️のようなものを昔聞いたことがある。
一緒にいる人が楽しい人だと「え?もうこんな時期⁉️あっという間❣️」「時間、全然足りないね」なーんてことはよくあることだ。
とはいえ、片付けに至っては「え?もうこんなじかん⁉️あっという間」「時間全然足りないね」と、同じセリフでも全くテンションは違ってくる。
セリフの最後にハートマークなんてつくわけもない。
片付けをしようと思っていてもなかなか重い腰が上がらない私。
『だから片づかない。なのに時間がない。』
という本を以前私は買って読んだことがある。
で、結局読んで終わってしまった。
読んだだけだ。
他にも色々片付けや収納に関しての本はいくつか買ったこともある。
だけど、今でも汚部屋のまま…。
片付けなきゃ…という想いと出来ない自分へのダメ出し…そして自己嫌悪…。
まるで私のことを書いているかのよう…。
有沢このみさんは、片付けそして時間を用いて一元観エピソードを書いてくださいました。
私の解釈が合っているとは思わない。
思わないですよ。
人それぞれどこをどう切り取りどう感じるかは違うわけだし。
書いている方、読む人、受け取り方はズレてしまうこともあるわけで。
だけど?
だから?
読むことでその人その人が何かを感じ、考えることが大切だと思うんです。
合っている、合っていないとはまた別にね。
…という逃げを作りつつ😅…このみさんの記事を読ませていただいての私なりの解釈として書かせてもらいますね。
このみさんは、『時間は有限だ』と感じるから、片付けが出来ないことに焦りを感じたり、苛立ちを出してしまっていた。
時間がない、時間がないと思って焦っている時間をときめくことに費やす時間に変えた。
やりたくないこと、出来ないことに悶々と時間を費やすよりも本当にやりたいことに時間を費やす方が、ときめく人生になるのではないかと気持ちを切り替えたんだと思うんです。
時間が有限なのか、無限なのかという話よりも私はこれを『片付けられない自分へのジャッジをやめた』だと受け取りました。
片付けられないことにダメ出しをしているのは、他の誰でもない、自分。
『片付けが出来ない』ということであってもそこにいい悪いをジャッジするのは自分の都合のジャッジ。
それにより常にイライラしていたり、焦っていたり、気持ちに余裕がなくなったり、自己嫌悪に陥っていたら、自分は幸せなんだろうか?
誰が何のために何を裁いているのだろうか…。
そりゃ探す時間はもったいないかもしれないけど、宝探しをしている時間だと思えば幸せなのかもしれない。
散らかっていたって、ニコニコしていたら周りの人も家族も幸せになって、自分も幸せかもしれない。
ニコニコして心を整えていたら、焦ることなく、ほんの少しだけでも片付けられるかもしれない。
だって、心の状態と部屋の状態は同じだから。
心を整える方が先なのかもしれない。
…なんて言いながら私は未だ心が整っていないけれど…💧
『ない』にフォーカスするよりも『ある』にフォーカスする。
このみさんの一元観エピソードを読んでいて、自分自身へのジャッジの手放し方を教えてもらえました。
そしてそして…
こちらもまるで一元観エピソード…というかこれは…これが『パラダイムシフト』ではないのか⁉️
という記事‼️
パラダイムシフトについてはおぬきのりこさんの『そうかの話し』をどうぞ
ダンナさんと話している時に、ふとわかった『ただ在る』ということ。
『ただ在るだけで、ずっと愛されてたってこと』
それがわかった瞬間。
これが宇宙の法則というやつなんだろうか…。
私はここの部分を読んで、光が刺してくる感覚に陥りました…。
いい悪いで一喜一憂するのは、二元観的な考え方。
だからこそ苦しくなる。
感情が絡むから厄介。
その通りだ。
違いは違いとしてある。
ただ在るのだ。
それが一元観なんだ。
ここに一元観の真髄があった✨
そう思った。
このみさんの記事を読むとスピリチュアル的な要素がたくさん散りばめられているんです。
ただ、このみさんはそういうものに対して肯定的な方ではなかったというんですね。
だけど、めっちゃスピリチュアルを体験しているし、『霊的真理』というか…『宇宙の法則』というか…そういうものをビビビッと受け取っている方のような感じなんです。
それには毒親というような義父母様。
その環境ゆえのダンナ様。
…がいたからこそなのかもしれません。
このみさんは、その出来事を書かれているのですが、その内容は不思議とグチとは感じられない内容なんですよね。
分析している感じ。
冷静に。
だから、私も読んでいて研究したレポートを読んでいるかのような…。
感情とはまた違う部分でスーッと読めたりするんです。
もちろん、人の感情として「これは好き」「これは嫌い」「許せる」「許せない」などということはあると思うんです。
「ありえねーだろ」とかね。
ここには書ききれない出来事や思いもたくさん味わってきたでしょうし、今もまだわだかまりのようなものもあるとは思うんです。
ただそれを「嫌いだからムリ」「ありえないから許せない」とジャッジするだけではなく、「違いはある」とわかった上で考えて決める。
それが正しい一元観的なジャッジなのかもしれない。
一片だけを見ているわけではないですし。
きちんと色々分析されてますから。
一元観的な考え方をまた一つ深く考えるキッカケになりました。
きっとこれからもときめきを選びながらこのみさんは進んでいくと思いました。
有沢このみさん、企画にご参加してくださりありがとうございました😊
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