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連載: 駄菓子屋ひなた堂の日記⑨
「チリン」湿った音に聞こえる。
今日もお客様第一号は、ヤスさんだ。
「奈々ちゃん、風邪でも引いたんかいね」
ああ、昨日は臨時休業にしていたから。
「ちょっと急用が入ってね」
昨日、徳永蓮と児童相談所の職員、中澤の会話で気が重く、誰かに聞いてほしいと思いつつも通常営業を保つ。
他の人には関係ないもの。
「ほんまかぁ、奈々ちゃん、顔色がよくないで。
この子は寝とるんかいね。今の若い子はインターネッツばっかりしとるんじゃないんね」
「ヤスさん、私は若くないですよ。老眼よ」
一昨日と変わらない店内の様子に、私は平和な時間にいると自覚する。
しかし、平和というものは平和だと感じないから平和なんだと。今は蓮のことがあって気持ちが低空を飛んでいる。
どうして私が呼ばれたのか不明だが、定休日ごとにまた大学病院へ面会に来るようお願いされた。
蓮の父親や蓮には一大事が背後にあり、警察から事情聴取も受けている。
一般的な怪我なら、ここまで大袈裟にならない。
こんな狭い町だ。きっと私が知らないところで噂になっているかもしれない。
蓮の父親が搬送されて、母親が行方知れずになった翌日はご近所のご婦人が私へ何があったか聞きに来たときは「よく知ってるなぁ」と感心した。
今日は学校が春休み最後の日、そして桜が満開。
いつもよりお客様は少なく、静謐の間にアクセサリーを作る音だけが私を取り囲む。
(店を閉めたら、夜桜見物に出かけようかな)
ガラス越しに帰宅する人々を目で追う。
チリン。
「ただいま〜」
そろそろ閉店だとレジを閉めていたら、スーツケースを引いた和紗がひょっこり帰ってきた。
この時間に誰も居ないって珍しいなどと言う和紗へ
「大学は? 帰るなら春休みに帰りなさいよ」
「あら、土日も春休みよ」
焼肉屋の個室へ母娘が対面で座り、烏龍茶で乾杯する。
和紗の大学での様子や出来事を聞いて、私は和紗が元気で頑張っているのが嬉しいし、和紗が悲しいと私まで胸が痛む。そうやって19年間和紗を育ててきたつもりだったので、蓮の家族、いや蓮の母親の話に少しも共感できなかった。
母親とは不思議なもので、他の母親の成功も失敗も我が身を振り返ると心当たりがあるものが多く、
感情が抑えられずに子どもへ当たりが強かったなど、後悔する場面に遭遇する。
たとえそれが虐待の範疇でも、我が子ですら話をしたくない気持ちになり、よその母親が悔いる話をすると
「あなただけじゃないわよ」とつい、声をかけたくなる。
しかし、蓮の母親に関しては同情できない。
でも、本当に蓮が嘘つきなら。
赤の他人であるのに、思考の迷路へ彷徨う。