ネットの炎上は総じて人任せ
同時にわたしも傷ついた
送られてきたリンクは記事で
記事のコメント欄へは、名前を知らない人が
わたしのデタラメや誹謗中傷を書く、勝利宣言
自分の仲間が傷つけられたら
その仲間なら何を言っても正義になる
誹謗中傷は誹謗中傷
正当化しないで、向き合ってくれ
この度の事例だけではないが
「あの人はそんな人じゃない」
主に好意や交流から得た、先入観だと思う
自分が見てきたものしか分からない
それによって生み出される
思い込みという『常識』
常識、一般的通念は社会的なもので
場合によれば有効なものだけど
踏まえた上で、例えば
テレビ・新聞・雑誌・ネットなどの
メディアは危険であると言われている
情報に含まれている恣意的なものが
触れた人々を混乱させる
マスコミやネットを介した
価値観や世界観まで依存しているのが
現代人なのだと考える
情報は生活に必要なもの
自分から探る必要のあるものまである
情報や先入観で、言われるがままの反応だから
誹謗中傷は生まれる時がある
仮にわたしが、わたしを誹謗中傷した人達へ
一つひとつ根拠を問うたとて
自分がどう感じたまでは言えても
精査することや中立であろうとする姿勢は
反映されないだろう
わたしが名前を知らぬ人達は
何も文句が言えない状態になると思う
ネットの炎上は総じて人任せに感じ
無根拠でわたしを傷つけても無礼講とし
なかったことになる
実は社会的な大きな問題はここにある
誰にとっても、他人事にはならない
ネットやメディアで一石投じられたら
意識的になる必要があり
多方面に向けたデリケートな問題を含んでいる