なんとなく過ぎそうな時間に意味を持たせる
子育てをしていると、ちょっとした子どもの相手に振り回され、気づくとあっという間に時間が過ぎていく。よく娘が私の手を引いて、遊びに誘ってくるのだが、いざ、その遊びが始まったかと思えば、娘はすぐに違うことに気が取られ、別の遊びに点々としていく。その点々とした遊びでは、一人遊びも多く含まれるので、親としては様子を見ていれば良い時間も多いのだ。
こういった、子どもの遊びに対して、真正面に向き合っていると、どこか疲れてしまう瞬間がある
なので、子どもが「一人時間(目の前の遊びに集中している時間)」に切り替わった瞬間に、私も「自分時間」に切り替えることを意識して過ごすようにしている
こうすると、思っていた以上に、娘と一緒にいながらも「自分時間」を過ごすことができるのだ
また娘と遊びを共有している合間にも「耳」を使うことで「自分時間」を並行して過ごすことも可能だ
時間の使い方を見直してから、子育て中とはいえ、「自分時間」を満喫することができている。そうなると自分自身に対する満足度も高く、子育てに対しても楽しさを見出しながら過ごすことができているように感じるのだ。
具体的に行っていることは、
・家事をしている間はボイシーでインプット
・お散歩などの移動中は、プライムビデオで海外ドラマを流し耳で英語を聞いたり、キンドルの読み上げ機能で読書、合わせて歩数カウントアプリを使い、歩数をポイントに変えてゲーム感覚で歩数を稼ぐ(楽しみながら健康維持する)
・娘のお昼寝中は、お気に入りのカフェに入り、ラテを飲みながら自分の人生について考えたり、職場復帰後の仕事を想定し、働き方の見直しについて考えたりしている(読書で学んだことを実生活にどう活かせるかを、手と目を使い、ノートに記していく)
・娘の就寝後は主にアウトプットの時間(noteにその日感じたことをアウトプット、娘の成長記録や、一緒に読んだ絵本の記録を残すなど)と、興味のある内容のユーチューブを見ながらヨガをして体を整える時間としている
ルーティーンで行う時間の特性を分析し、この時間だったら「目」「手」「耳」「足」のどこが空いているか、どこを使えるのか、を考えて、有効に使えるようにしているつもりだ。
お散歩中なら、「足」は移動・運動の目的で使われ、安全面で「目」と「手」も高速されているので、空いているのは「耳」、そうなれば耳で読書をしよう といった具合だ。
娘は娘の時間を、私は私の時間をそれぞれ満喫しながら、お互いが交わる時間は一緒に共有して楽しみたい。
私の子育ての考え方は、そんな形で進めていきたいと思う