We don’t judge people. God judge us
We don’t judge people. God judge us
日訳:私たちは人を判断できない。神だけが判断できる
初めてこの言葉を聞いたとき、とても重みを感じた。
それと同時に、「誰かに判断されることが当たり前」の世の中に矛盾も感じた。
人々は、それぞれに考えがあり、感情があり、思いがある。
いつもブログで書いてある通り、全員が同じ意見で同じ思考なことはあり得ない。
でも、何故か?今の世の中は、たった一人の人の価値観や感情で、「判断」されてしまう。
例えば、AさんとBさん
Aさんはスポーツ万能だけど、勉強はできない。
Bさんは勉強万能だけど、スポーツはできない。
この場合、中立的に見れば、
互いに欠点があり、互いに長所がある。
でも、今の世の中
BさんがAさんに対し、「あいつ勉強できないから」という自分の主観で判断してしまう。
その逆もある
最近の世の中は平等や中立と言われているけど、これのどこが中立で平等なんだよ。
人間だから全員に好かれることなんて絶対に無理
でも、全員に嫌われることも絶対に不可能な話で、人それぞれの考え方がある。
でも、短所ばかり見る人が多い気がする
短所ばかり見てしまったら、そりゃその人に対して良い判断はできないよな。
別に、良い判断をしろと言ってるわけじゃない。
でも、それは今の世の中が目指している平等・中立じゃないよね
神にしか判断できないというのは、
僕らはまだ浅はかだということ。
僕の場合、生まれてまだ21年しか経っていないんだから、人を判断するような器じゃない。
でも、80歳の人でも人を判断できるかと言えば、できないと思う。
80歳の人にとっての80年間は楽しいことの反面、苦労をしてきたこともあった濃い80年だと思うから、人を判断する力があると思っているかもしれない。
でも、それは80歳生きてきた人の価値観であって、
神に比べたら、大したことないよな。
人を判断するのって難しいし、
人を嫌うのは想像以上に疲れる
時間の無駄だよ
それに一方的に人を嫌うのは、フェアーじゃない。
相手は自分に対して無害なのに。
だったら、他人に構わず、
自分のやりたいことを、自分で叶えればいい