旅の記憶36〜クリスマス明けに訪れた極寒のローマ
1996年最初のイギリス赴任し、初めての旅行はローマでした。クリスマス休暇後、年始にかけての時期に家族で訪れました。なぜクリスマス後かと言えば、クリスマスイブ・クリスマス当日は、店もレストランも閉まるからでした。
その年のヨーロッパは大寒波が押し寄せ、それは南に位置するローマにまで押し寄せていました。今だに家族で話題にしますが、女性陣(妻、長女9歳、次女5歳)が最初に行ったのは、防寒のための買い物でした。
ローマのスペイン広場は、映画「ローマの休日」でアイスクリームを食べるシーンが有名ですが、アイスどころではなく、広場にある有名手袋店「Sermoneta」で妻は手袋を購入。娘たちは子供服の店で、手袋のみならず暖かそうな帽子を入手しました。
こうして街歩きを始めたのですが、寒さに耐えきれなると、お店や教会に入り暖をとって再び歩き始めるという感じでした。
ローマで食べるべきものはピザと思い、寒空の中を紙の地図を手がかりにようやくたどり着いたピザ屋も思い出に残っています。残念ながら、店名は忘却の彼方ですが、カジュアルな居心地の良い店、なにより暖かいのがご馳走です。ワインのグラスは足がないゴブレット型、テーブルクロスは白い紙で注文はそこの書き込まれました。日本で主流のナポリピザは、生地がもっちりと厚さがありますが、ローマのピザは薄い。冷え切った体で、焼きたてのピザを頬張った時の美味さは忘れ難い思い出です。
休暇の後半は、寒さも少し和らぎシスティナ礼拝堂、フォロ・ロマーノ、コロッセオと定番コースを観光、コロッセオの近くにある「真実の口」に手を入れ写真を取ることも忘れませんでした。
それにしても、インターネットもない中、「地球の歩き方」と英語のガイドブック・地図でよく旅ができたものです。人間は退化しているのかもしれません。
イタリアでは、クリスマスと共に“エピファニー〜Epihany“を祝います。“エピファニー“は公現祭と訳されますが、1月6日東方の3博士がキリスト生誕を祝ってベツレヘムを訪れたことを記念したものです。つまり、イエスが初めて第三者にその姿を見せた日です。この時に3博士は贈り物を持参されたとされ、これがクリスマス・プレゼントの起源とする説もあるようです。
したがって、12月26日になるとクリスマス飾りは忽然と消え、一斉にお正月の装いになる日本とは違い、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の広場には、クリスマスを過ぎても、キリストの誕生〜ナティヴィティ(Nativity)を人形などで再現した飾りつけが鎮座していました。(これの大型版です)
広辞苑の「公現祭」の語釈には、<ユダヤ人ではない東方の三博士が>と書かれていました。聖書の中では、非ユダヤ人がユダヤの王キリストを拝みに来たのです。
キリスト生誕の地、ベツレヘムはイスラエル、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にあります。最も賑わう時期ですが、今年は閑散。クリスマス行事も中止になったという報道もあります。何を信じるかは別にして、エピファニーのお祝いのように、ユダヤ人・非ユダヤ人が仲良くできる世界にならないものでしょうか
*ネット上にあった、様々な年のサン・ピエトロ広場です
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