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旅の記憶26〜太田さんに導かれた鳥取の夜は
昨日、岡山出張のことを記したが、岡山にある支社は岡山県の外、鳥取県を担当している。鳥取の担当者と会話し、昔の出張時のエピソードを思い出した。
鳥取に出張したのは、15年ほど前のことである。1泊の行程で、鳥取駅側のホテルに宿泊した。
仕事終えて、夕食の時間。出張には同行者はおらず、一人だった。 当時は、全国各地を飛び回っている時期で、夜の部の店選定には、太田和彦の著書「ニッポン居酒屋放浪記」シリーズを活用しており、その「立志編」に鳥取の項が掲載されていた。
スマートフォンが普及していない時代である。今のように、携帯で店をササッと調べられる環境ではない。そして、それが故の面白さがあった。
太田さんが訪れたいくつかの店の中から選んだのは、おでん居酒屋の「大八」である。一人飲みの店選びは意外に難しい。一品の量が多い店はダメ。限られたつまみしか食べられない。席はカウンター、店の人や隣の客と会話が楽しめる可能性がある。その点、おでん屋は間違いがない。様々な味を楽しめる上に、土地土地で特色があり、間違いなくカウンターがある。
「大八」で何を食べて飲んだのか、記憶には全く残っていない。上述の本を眺めると、豆腐を気に入り三回お代わりした太田さんに、隣にいた客は、<「 ここの豆腐はうまいんだ。豆腐ばかし八つ食べた奴がいたな」>と話す。<店はお姉さん一人>で、<「おでんは煮え立てたらあかんねん」>と話す。私もきっと豆腐を食べたはずだ。
本が出版されたのは2000年、私が訪れたのは5年以上後。太田さんが<お姉さん>と表現する店主は、少し年齢が加わった<陽気なお姉さん>だった。私も、ひとしきりおしゃべりしながら、盃を重ねた。たしか、吉田類の番組と言っていたと思うが、最近テレビの取材も受けたと話していた。
と、太田さんの体験をなぞっているようではあったが、大きく違う点があった。太田さんは、こう書いている。<カウンターは勤めを終えた中年の男たちでたちまち満員になった>
私が言った日は、満員どころか誰も来ない。ずっと、私と<お姉さん>のサシである。居心地が悪い訳ではないが、そろそろ河岸を変えたくなった。
この後は、地方のバー探索である。太田さんの本に、こんな箇所がある。< クラブ(注:鳥取の洋酒バー)で教わった古い店「シック」がこの通りにあるはずだ。白地に文字だけの飾り気ない電飾看板がぽつりとともる昭和三十年頃そのままのバーが見えた>。
私は、「大八」のお姉さんに、「シック」の場所を聞いて向かった。<ドアを押すとゆったりした室内は初期のバーに多いヨーロッパ山荘風で、銀座の古い店を思わせる>はずだったが、ドアを押すと女性が現れ、「どなたかの紹介ですか?」と聞かれた。どうやら、一見客は入れない店らしい。
太田さんは、<年配めのママさんは、お母さんと呼びたくなるような人を安心させる雰囲気をもち>と表現しているが、私が遭遇した同一人物と思われる女性は、私の不安感をかき立てた。この店、ちょっとヤバくないか。
それでも、勇気を振り絞り、唯一のカードを切った。「太田和彦さんの本で読んで来ました」と応えたところ、無事店内へと招かれた。
入店後は、居心地も良く、時代を感じさせる空間で気持ちよく飲むことができた。幸い、ヤバくはなかった。
しか〜し、いつまで経っても誰も来ない。客は私一人である。結局、私は「シック」のママと二人の時間を過ごした。そして、店を後にし鳥取の夜は終了した。
飲み屋を2軒訪れ、自分以外に客がいなかったという体験は、後にも先にも鳥取の夜だけである。おかげで、決して忘れることのない思い出になっている。
ふと、ネットで検索してみると、「大八」はもう閉店してないようだ。「シック」は見つかるが、情報がほとんどなく、今も“一見さんお断り“を貫いている様子である