「サザエさん」を生み出した“ヒットラー”〜「サザエさんうちあけ話」
タイトルに書いた“ヒットラー”とは、「サザエさん」の作者、長谷川町子の母親のことです。
NHK BSで、長谷川家をモデルにした朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」を再放送していました。主演は熊谷真美、その妹(長谷川町子)役に田中裕子。そして、彼女たちの母親を藤田弓子が演じていました。このドラマの中でも、母のあだ名は“ヒットラー”なのです。
町子13歳の年に父親が病死、寡婦となった母は、女手一つで3人の姉妹を育てることに。教育熱心で敬虔なクリスチャン、母の言うことは絶対であり、反対することはできません。それ故に、独裁者“ヒットラー”と呼ばれます。
このドラマが面白く(リアルタイム〜1979年にも、多少は見ていたとは思うのですが)、その原作の長谷川町子「サザエさんうちあけ話」を入手しました。
マンガとエッセイのハイブリッド本なのですが、この中でも母は“ヒットラー”とあだ名され、篤志家として、<月越しのお金は持たない主義で、良心に従い、いわゆる良いことに使い果たしていました>と書かれています。ドラマは、本書に忠実に即しています。
中でも、母、ドラマの中の役名”はる”が最高。その行動力こそが、「サザエさん」などの全国的な人気マンガへと続く原動力となります。
夫を亡くし悲嘆にくれる母ですが、本書によると、<一年間泣きくらしたあげくガバとはね起き、荷造りをはじめます。目指すは首都>、福岡を出て3人の娘を<東京で教育しようというのです>。
そして、東京で長谷川町子は「のらくろ」の田川水泡に弟子入り、姉は油絵の勉強を。しかし、上記の通りの金銭感覚の母親ですから、姉は挿絵を描いて糊口を凌ぐこととなりますが、知人の紹介で菊池寛の連載小説の絵を描くことになります。
ちなみに、ドラマでは田川水泡に愛川欽也、菊池寛役にフランキー堺が配されています。念のため、菊池寛は当時の人気作家。さらに、文藝春秋を創刊し、雑誌は来年で創刊100周年となります。
その後、戦争が始まり、長谷川家も九州に戻るのですが、終戦後、地元紙における町子の連載マンガ「サザエさん」が好評となり、ニセ本まで出回ります。そんな時、新聞の求人欄に、<長谷川まり子さん 長谷川町子さん 仕事をたのみたく至急れんらくたのみます>という広告が、有名出版社から掲載されます。
長谷川家は、<ふたたびめざすは首都!!!>となり、<「よし、上京の資金に この家を売ってこよう」母は、とび出していきました>。地元紙の方は、<レンサイなぞ画いてはいられないと、サザエさんは、とつじょケッコン、めでたしめでたしで、オワリにしまして、引っこしです>。母の決断がなければ、マスオさんとサザエさんは結婚しなかったのかもしれません。
これでけでも、十分大胆なのですが、この騒ぎの中に、知人が<「紙なら、手に入るルートをしってるんだけど>と情報を入れてきます。<これを聞くや、母は家を売ったばかりのお金をポンと半分投げ出しました。「これでサザエさんを出版しなさい」>。上京して、「サザエさん」を全国区にするだけではなく、出版社まで作っちゃうのです。
「マー姉ちゃん」でもこのシーンはあり、この時代にこんな人がいたんだと感心し、本書を読むきっかけとなりました。今でいうと、“ヒットラー“は起業家です。
「サザエさん」など、長谷川町子のマンガは「姉妹社」という出版社から出されており、新聞に連載されたものが、なぜ大手出版社からの発刊ではないのか、不思議に思っていました。まさしく、母の大英断により、「姉妹社」は設立されたのでした。
もちろん、素人が始めた出版業ですから、その後の紆余曲折があり、本書でもドラマでもそれがエピソードとして描かれるのですが、大したお母さん、“ヒットラー”でした。
起業やビジネス上の決断は、やはり大胆なアクションが必要な局面があるのですね
尚、姉妹社は長谷川町子の没後、廃業/解散しました。その後、作品は朝日新聞出版から発売されており、本書も同様です。ただ、本の裏表紙には姉妹社のロゴ、「SSS」〜スリーエスマークが印刷されています
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