イチローの言葉のすごさ〜満票を逃しての米・アメリカ野球殿堂入り
私を含め、スポーツ観戦を好む人は多い。なぜか。もちろん、単純に面白いということがあるが、それだけではないはずだ。
大谷翔平の活躍を見て、「元気をもらった」とコメントする人は多い。挫折や失敗を含め、ひたむきにスポーツと向き合う選手の姿から、我々はさまざまなものを得ているのだろうと思う。
イチローが、全米野球記者協会が選定する、アメリカ野球殿堂入りを果たした。現役引退後、5年以上を経過した選手が対象で、イチローは今回が初年度。選出されることは間違いないと予想されていて、注目はヤンキースの投手マリアノ・リベラしか達成していない満票での選出になるかだった。
結果は、1票足らない99.7%の得票。満票を期待していた私は、「誰だ!入れなかった記者は!!」と言い、妻も同意した。アメリカのメディアでも、批判が出ていたらしい。
翌朝、1月23日付の日刊スポーツに、イチローの記者会見の模様が掲載されていた。その中の言葉に感銘を受けた。<満票に1票足りなかったことへの心境>という質問に対するコメント、少し長いが引用する。
<1票足らないというのは、すごくよかったと思います。しかもジーター(注:ヤンキースの名遊撃手デレク・ジーター。2020年に殿堂入りしたが、満票に1票及ばなかった)と一緒。数字的には、の話なんですけど。
足りないものを、これって補いようがないんですけれど、努力とかそういうことじゃないからね。ですけど、いろんなことが足りない、人って、それを自分なりに、自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよ。
これとそれとはまた別の話なんですけど、やっぱ不完全であるというのはいいなって。生きていく上でも、不完全だから進もうとできるわけで、そういうことを考え、改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるというのはよかったなと思います。>
全ての打席でヒットを打つことを目指した求道師の言葉だけに、重みがある。努力をつくした結果の、「不完全であるというのはいいな」。私のような凡人の、「まぁ、こんなもんでいいか」とは次元が違う。
そして、凡人はどうしても「なぜ満票でなかったのか」という、下世話なことを考えてしまう。ちなみに、イチローの父“チチロー“も、「どこか欠けていて、ちょうどいい。気が楽になりました」とコメント、さすがである。
凡人の私は、それでも「なぜ満票ではなかったか」を考えてしまう。
そこで仕組みを調べてみた。ざっと、このようなものらしい。
殿堂入りについて投票するのは、全米野球記者協会に10年以上所属する記者。彼らに候補者リストが配られる。5%未満の得票の場合、資格を得てから10年経過しても殿堂入りできなかった選手は、翌年以降のリストからは削除される。
こうしてできたリストの中から、最大10人まで投票することができる。投票の基準は、
その選手の成績、プレー能力、Integrity〜誠実さ、スポーツマンシップ、人格、所属チームへの貢献
これらから判断し、殿堂入りにふさわしい選手に投票、75%以上の得票があれば殿堂入りとなる。
今回の投票で殿堂入りから漏れた選手の中には、A-Rodことアレックス・ロドリゲスがいる。マリナーズ、ヤンキースで活躍、MVP3回、本塁打王5回、大谷が50−50挑んだ際に、しばしば登場したのが、1998年には42ー46を記録している。しかし、薬物問題が取り沙汰されたため、今年は資格取得後4年目だが、得票率37.1%と未だ殿堂入りはできていない。
それでは、1名の記者がイチローに投票しなかった理由はなんだろう。一つ考えられるのは、“チームへの貢献“。イチローが加入した2001年こそシアトル・マリナーズは地区優勝したが、その後は泣かず飛ばずで、ポストシーズン進出すら叶わなかった。イチローの問題ではなく、貢献できるようなチーム状態ではなかったと言える。
もう一つ考えられることは、投票は絶対評価であるべきだが、「イチローは間違いなく選ばれるから、むしろ微妙なラインにいる選手に票を回そう」とした記者がいたのではないかというものである。
今回、イチローと、ヤンキースなどで活躍した投手CCサバシアが初年度で殿堂入りした。もう一人の殿堂入りは、救援投手のビリー・ワグナー。彼は、最終の10年目での殿堂入りである。こうした選手に投票をよせた可能性はあるだろう。
まぁ、いずれにしろ、イチロー本人は気にもしていないのだろうが。
ということで、私は引き続きスポーツを見続ける
*殿堂入り3人の記者会見の模様。サバシアがイチローに打たれたことを語るとともに、笑みを浮かべながら「イチローがいたから新人王を逃した」と語った。サバシアは、2001年のルーキー・イヤーに17勝を挙げている。感極まるワグナーの姿に、殿堂入りの重さを感じる