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大阪人が初めて新世界で呑む〜昭和を残す街にはインバウンド観光客が

大阪に新世界というエリアがあります。通天閣のたもとと言えば分かりやすいでしょうか。大阪出張時に、中高の同級生が集まってくれて、新世界で呑みました。

新世界に拠点を置き、今回の幹事役を務めてくれた友人によると、このエリアは明治時代“万博“(内国勧業博覧会)が開催され、“大林タワー“が建設されました。その跡地の東側が動物園を含む天王寺公園、西側が新世界となり、そのシンボルとして通天閣が建設され、ルナパークという遊園地もできました。

太平洋戦争が始まり、鉄の供出などのために初代通天閣は解体されますが、戦後二代目通天閣が建設されました。私の実家の屋上や、学校から通天閣が見えましたが、それはこの二代目です。

私が大阪に住んだのは1970年代まで、我々の中で新世界は危ない場所、近寄ってはいけないエリアでした。昼間から酔っ払いがいて、近隣地域もあまり“ガラ“が良くない。実態はどうか知りませんが、新世界は日常的に眺めつつも、足を踏み込むことはありませんでした。

そんな新世界も、最近はクリーンになり、危険など全くないと聞くように。それでも、出かけるチャンスはなかったのですが、同級生の一人が飲み会の開催地としてアレンジしてくれたのです。

早めに出かけ、ジャンジャン横丁から始まり、少し探検してみることに。

立川談志が、そのうち蚊や蚊帳などというものがなくなり、夏の夜の蚊、そして蚊帳を体験しようというアトラクションができるだろうと言っていました。新世界は、ある種そうした昭和の名残を体験できるテーマパークと化しています。

昭和レトロな串カツ屋、寿司屋、居酒屋、うどん屋。さらに凄いのが弓道場、射的場、レトロゲームセンター。多くのインバウンド観光客が、食べ・飲み・遊んでいます。

ちょっとフェイク感が満載ではあるのですが、中には創業明治43年の大衆演劇の「朝日劇場」「ギャング対Gメン 集団金庫破り」(1963年東映)と「忍者武芸長 百地三太夫」(1980年東映、主演は真田広之!)の二本立てを上映している映画館「新世界東映」、“今これはあかんやろ“という感じのポルノ映画館、創業明治33年・銘菓釣鐘饅頭の釣鐘屋本舗といったリアル老舗も存在しています。

そしてその中心には、キレイになった通天閣。

横丁に入ると、“会員制“のスナック、中にはおしゃれなギャラリー、我々はその中にある焼鳥屋で旧交を温め、その後は新世界で友人が運営する寄席「恵比寿寄(EBISU YOSE)」を見学するなど、新世界の夜を堪能した次第。

新世界は、まさしく“新“世界でした


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