幻の七代目松鶴〜上方最初のアイドル落語家、仁鶴さん逝く
一昨日(2021/8/20)、ニュース速報で笑福亭仁鶴さんの訃報が流れた。私にとって、仁鶴は落語家であると共に、最初に聴き始めたラジオのパーソナリティだ。小学校も高学年になり、深夜放送に手を出し始めていた。
大阪ABC放送に「ヤングリクエスト」、通称“ヤンリク”という番組があり、その中に、“仁鶴 頭のマッサージ”というコーナーがあり、よく聴いていた。当時の仁鶴は、アイドル的な存在となり大人気、奥様の隆子姫という存在は、関西の誰もが知っていた。本も出版され、私も所有していた。
笑福亭仁鶴の先に、桂三枝(現文枝)があり、その後に笑福亭鶴瓶・明石家さんまが続く。上方のアイドル落語家の系譜である。但し、後の3人が全国区的な存在になるのに反して、仁鶴は上方の香りを大事にした。
岡本和明の「志ん朝と上方」という本があるが、志ん朝と10年以上「二人会」をやった相手として、仁鶴のインタビューが掲載されている。噺家の倅という同じ境遇に生まれた、仁鶴の師匠六代目松鶴を、志ん朝は敬愛しており、その縁で同年代の仁鶴との会を開催していた。このインタビューの中で仁鶴は、<誰かが、志ん朝師匠になぜ僕と会をやるのかと訊ねた時に、「いちばん大阪くさいんだよ」と答えたそうですな>と語っている。
日刊スポーツに、七代目松鶴襲名のエピソードが書かれていた。六代目は総領弟子の仁鶴に継がせるつもりだったが、仁鶴は固辞し、弟弟子の松葉を指名。一門が揺れた結果、松葉が襲名することに決まるも、その前に松葉が急死、死後七代目が追贈されるという異例の事態になった。
松葉の襲名に異論はないが、仁鶴が七代目を襲名していたら、上方落語の世界はまた変わっていたようにも思う。志ん朝も認めた“上方落語の匂い”、ご冥福をお祈りします
献立日記(2021/8/21)
牛肉と糸こんにゃくのレタス包み
ズッキーニとブロッコリーのタプナードソース
キャベツと油揚げの煮浸し