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アグネス・チャンとキャラメル・ママ〜BSフジ「HIT SONG MAKERS〜昭和のアイドル誕生の秘密を探る」(その3)

(承前)

6枚目のシングルとして出たのが“ポケットいっぱいの秘密“(1974年)(作詞:松本隆 作曲:穂口雄右〜キャンディーズのヒットメーカー)である。この曲が、番組で流れ、「この曲よかったなぁ」とつぶやいていたところ、ナレーションで、本作のバックにはキャラメル・ママがいることが流れた。


1973年に結成されたバンド、キャラメル・ママはティン・パン・アレーの前身で、細野晴臣、鈴木茂のはっぴいえんど組に、ドラムの林立夫と松任谷正隆がメンバーだった。日本の音楽界に勃興していた、新しい勢力だ。

そもそも、アグネス・チャンが香港でリリースしたアルバムに収録されている楽曲は、ジョニ・ミッチェル“Circle Game“、キャロル・キング“You've Got a Friend"、カーペンターズが歌った“Sing“、“Top of the World“、“For All We Know“といったフォーク、アメリカン・ポップスが中心だった。こうした彼女の志向も反映され、はっぴえんど〜キャラメル・ママという、日本におけるポップ・ミュージックの台頭と結びついたのだろう。

荒井由美は、1973年キャラメル・ママをバックに「ひこうき雲」でアルバムデビューするが、他方でアグネス・チャンのために“白いくつ下は似合わない“(1975年)を提供する。その後、阿木燿子/宇崎竜童が山口百恵の“横須賀ストーリー“(1976年)を手がける。アグネスの活動は、歌謡界の動きを先取りしているようにも見える。


“ポケットいっぱいの秘密“は、カーペンターズを思わせるような、カントリー・ポップ調の楽曲で、歌詞は前述の通り松本隆、はっぴいえんどのメンバーでもあった。番組では、この歌詞に隠された松本の遊び心が披露された。

その第2パートの歌詞は、こうである。

♫あなた 草の上
ぐっすり 眠ってた
寝顔 やさしくて
「好きよ」って ささやいたの♫


冒頭の4文字をつなげて欲しい、それは「アグネス」となる。この仕掛けについて、アグネスは20年くらい経ってから初めて知らされる。(松本隆は)「我慢強い人だと思った」と、彼女は言う。

“ポケットいっぱいの秘密“を収めたアルバム、「アグネスの小さな秘密」は、タワーレコードのサイトによると、キャラメル・ママが演奏・プロデュース、その他、矢野顕子(当時:鈴木あきこ)や加藤和彦が参加している。アルバム・ジャケットも、これまでのアイドル・アルバム的な、彼女の写真をベースにしたものから、自身の作と思われるイラストを使用している。

続くアルバム、「あなたとわたしのコンサート」は、コンサートというコンセプトで作られ、キャラメル・ママ、矢野顕子らに加え、先日お亡くなりになった高橋幸宏も入っている。なお、このアルバムには、シングル・バージョンの“ポケットいっぱいの秘密“が収められており、「〜小さな秘密」のそれとは、アレンジが違う。シングル・バージョンのイントロは、カーペンターズの“Top of the World“そっくりである。(アグネスは、カーペンターズの楽曲をアルバムに入れている)

2つの“ポケットいっぱいの秘密“
アルバム「アグネスの小さな秘密」収録バージョン
シングル・バージョン

こういったことは、リアルタイムで聴いていた当時はまったく知らず、今回のBSフジの番組に刺激され、初めて知り、さらに深掘りすることになった。ただし、12歳の私の頭に鮮明に刻まれたことがあった。それは、上記の活動と時を同じくし、1974年にアグネスが上智大学に入学したことである。

子供の私の頭の中に、テレビの中の“アイドル“歌手が大学に進学するというキャリアが、想像を超えていたのである。その後も、音楽活動・芸能活動を継続したがら、トロント大学に進み、多方面で活躍していく。アグネス・チャンは、時代の先駆者だったのだ



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