初めての大手町落語会〜柳亭市馬・柳家権太楼の二人会になった(その1)
大手町落語会、なぜか縁がなかった。調べてみると、第1回は2010年で10年以上続いている。私が日本にいなかった頃に始まっているので、そのせいもあるかもしれない。
10月8日開催の第75回特別記念企画は、柳家権太楼・柳家さん喬の二人会。今や落語界の重鎮、寄席の大看板の二人である。一度落語を聴きに行きたいという知人夫妻がいたので、ご案内するには丁度良いかとチケットを手配、我々も同行した。
それぞれ一席はネタ出ししており、さん喬は「うどん屋」、権太楼は「鰍沢(かじかざわ)」である。
公演の前日、主催者からメールが届いた。さん喬さんが体調不良で休演、落語協会の柳亭市馬が代演するとのことである。権太楼・市馬の二人会となったが、爆笑落語の権太楼と、端正な市馬の組み合わせも、これもなかなか楽しみである。
舞台は、その二人の対談で幕を開ける。権太楼は1970年五代目柳家つばめに弟子入り、師匠没後1975年に先代柳家小さん門下となる。一方の市馬は、私と同学年の60歳で、権太楼の14歳下。1980年に先代小さんに弟子入りする。剣道をやっていたので、小さんの良き稽古相手〜落語ではなく剣道の〜になった話を紹介する。また、市馬の入門当時は、三遊亭圓生の落語協会脱退問題を受け、会長の小さんがピリピリしていた時期。その状況下を内弟子として過ごした市馬のことを、権太楼がほめていた。
対談終了後、本編の落語が始まる。開口一番で上がったのは、さん喬の弟子で柳家小きち。演目は「道灌」の前半にあたる「小町」。
続いて上がった、柳家権太楼。対談で、爆笑落語から、近時はこの日ネタ出ししている「鰍沢」や「鼠穴」といった“聴かせる“ネタに重心を移している理由を話していた。理由の一つは、コロナ禍で入場制限、マスク着用がある中、笑いの熱量が低下した感があり、演じながら“こんなはずじゃないのに“という思いがあったこと。ならば、ストーリー性のある話の方が良いのではと考えた。
そして、先人らも年齢と共に芸風が変化した、自分も年齢を重ね、それに応じネタもシフトしていくべきだと考えているとの弁だった。
権太楼の爆笑落語にも未練のある私は、何をかけるのだろうと思っていたら、「お化け長屋」(古今亭志ん朝の音源)に入った。これぞ権太楼という感じの、各人の描写にメリハリが効いた爆笑落語。師匠、この手のネタも引き続き演って下さいね。
続いて予定では柳家さん喬の「うどん屋」だった。先代小さんのそれは絶品であり、対談でも市馬さんは「あれを聴かされたら、やれない」「さん喬さんも、面倒なネタ出ししてくれたものだ」と話していた。ということは、さん喬師に代わって、「うどん屋」をかけるらしい。
市馬師は、そば屋、うどん屋の売り声で、自慢のノドを披露すると共に、様々な所作において落語のあるべき形を示してくれた。ただ、酔客がどうも演者の人〜“ニン“に合わないのだ。幼い頃から可愛がっていた知人の娘が嫁に行く。そのめでたい席で少々飲み過ぎた酔客が、表を売り歩くうどん屋を訪れるのだが、この酔客がどうも真面目なのである。
もちろん、「うどん屋」は市馬の持ちネタであり、三田落語会での音源も公開されている。さん喬から託されたネタを、キチンとこなそうとする姿勢も理解はできる。しかし、もっともっと魅力のある落語家であり、同行の知人には柳亭市馬の素晴らしさを知って欲しい。
後半に期待しよう