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「高津宮」上方落語の聖地をたずねる(その2)〜「崇徳院」

高津(こうづ)宮は、落語「高津の富」ではクライマックスの舞台だが、「崇徳院」では物語の発端である。私は、桂枝雀の音源を聴いていた。(こちらは動画版

職人の熊五郎、出入りしている大店の主人から呼び出しを受ける。何だろうと伺うと、若旦那の作次郎が寝込んでいる。医者の見立てでは、気の病、何かを思い詰めているらしい。大旦那や母親が訪ねても、若旦那は訳を話さない。子供の頃からの馴染んでいる、熊五郎になら話すと言っているので、事情を聞いてやって欲しいと頼まれる。

熊五郎が尋ねると、若旦那は胸の内を明かす。それは、”恋わずらい”であった。20日ほど前に、”高津さん”、高津神社を参詣し、絵馬堂の茶店で一服した。

熊五郎は、<”高津さん”、仁徳天皇、よぉ知ってる> と即座に反応する。高津宮の主祭神は仁徳天皇である。神社の殆どは戦火で焼かれたが、絵馬堂は新しく建てられており、その側に茶店はないが、代わりに現代版の茶店、”高津の富亭”と言う建物があり、落語会も催されている。

また、熊五郎は絵馬堂の茶店について、<見晴らしが良く、道頓堀まで見渡せる>と評する。高津宮は、高台にあり、かつそのベースが上町台地なので、西側の道頓堀辺りは一段下がった低地にある。今でも見晴らしが良いが、昔はさぞかし景色が綺麗に見えたろう。

若旦那、作次郎はこの茶店で美しい令嬢に遭遇、その女性が先に立ったのだが、”緋塩瀬の茶帛紗(ひしおぜのちゃぶくさ)”を置き忘れているのに作次郎が気づき、それをお嬢さんに手渡す。これが運命の出会いである。

すると、そのお嬢さんが料紙に「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われてもすゑにあはむとぞ思う」という崇徳院の句を書いて渡す。今は別れるが、いずれ再会したいとの含意である。

以来、作次郎は”恋わずらい”となるが、お嬢さんがどこの誰かは分からない。それを探しに、主人の命を受けた熊五郎が奔走する。。。。。

神社は高台にあり、階段や坂を登っていく必要があり、西側の三曲り半に曲がった坂は”縁切り坂”と称されていた。明治後期になり、南北両側から登る階段を作り、男女が両側から登り始め、頂点でピッタリ出会えば相性が良いとし、”相合坂(あいあいざか)”とした。

作次郎とお嬢さんが”高津さん”に登った結果は、”縁切り”なのか、”相合”なのか、是非噺を聞いてもらいたい。

尚、境内には”高津の富亭”での落語会に欠かさず出演した、五代目(先代)桂文枝を顕彰する石碑が建立されており、題字は三代目桂春団治の筆である。また、”相合坂”は近年改修されたようで、高津宮で襲名祈願を行った四代目坂田藤十郎初め、上方歌舞伎の重鎮の名前が並ぶ。高津宮は、歌舞伎「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の舞台にもなっている。落語/歌舞伎ファンにとって、楽しめる聖地、高津宮である




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