ライブの記憶(3)〜ザ・ランナウェイズの初来日
エアロスミス、キッスのコンサートを観た僕らですが、もっと良い席で観たいという気持ちがつのりました。
その為にはどうするか。主要招聘プロモーターだった、ウドー音楽事務所は、チケット販売に際して整理券を配布する。これをいかに素早くゲットするかがポイント、僕らは悟ったのです。
ということで、1977年4月、高校一年生になった僕らは、学校の昼休みに最低週1回はウドー音楽事務所(大阪)に電話をかけ、「誰か来日決まりましたか? 整理券の配布はいつからですか?」と尋ねるようになったのです。
そうして最初にひっかかってきたアーチストが、ガールズ・バンドのザ・ランナウェイズ(The Runnaways)でした。1976年にデビュー、ファースト・アルバムからシングル・カットされた“Cherry Bomb“が日本でもヒット、リード・ボーカルのシェリー・カーリーの衝撃的な衣装を含め、話題の的でした。
77年6月の日本公演、大阪の会場は確かフェスティバル・ホール、我々の座席は、前から3列目あたりだったかと思います。
この時のコンサート、ラスト近くで“Cherry Bomb“が演奏され盛り上がったこと以外は、あまり覚えていません。バンド自体、日本公演後、シェリーを含むメンバーの脱退があり、ジョーン・ジェットを中心にしてアルバム2枚を制作しますが、1979年に解散となります。文字通り、“Run Away“してしましました。(上手くない〜笑)
その後、ソロになったジョーン・ジェットが、1981年“I Love Rock'n Roll“のヒットを飛ばしますが、ランナウェイズの楽曲を聴くことはほとんどなくなりました。
1977年のツアー、東京公演のライブ盤が発売されているので、これを聞いて記憶を掘り起こしてみました。荒削りな演奏から繰り出される、当時盛り上がりを見せていたパンク・ロックのフレーバーが感じられます。その中で、"Cherry Bomb“に続いてクライマックスで演奏されたのが“American Nights“。この曲が好きでした。
このライブ音源を聴いて一番驚いたのが歓声。それも、女性の声がガンガンに響いています。大阪公演もこんなだったのかなぁ。男子校にいた我々は、女子の間で何が流行っているかはうとく、コンサートの時も、特に注意を払っていませんでした。
1980年代に入り、日本では“バンドブーム“が発生、SHOW-YAや、1983年結成のプリンセス プリンセスなどが、メジャーになるのですが、もしかしたらランナウェイズの一瞬の成功が刺激剤になったのかもしれません。
記憶していること。ステージ真ん前でコンサートを観た僕らは、その興奮が忘れられず、引き続き昼休みにウドー音楽事務所に電話をかけ続けたのでした
*来日時の映像がYouTubeにアップされていました