第15回 桂吉坊・春風亭一之輔 二人会(番外編)〜吉坊についてもう少し
(承前)
15年を超えるブランクを経て、桂吉坊の高座をようやく観た。それに刺激され、色々探ってみた。
桂吉坊26歳の頃、2009年に「桂吉坊がきく藝」という本が上梓された。私の本棚には、2013年に出たちくま文庫版がある。たまたま、レシートが挟まっていたので見ると、2013年6月28日とある。当時は香港勤務だったので、東京出張時に購入したのだろう。吉坊という存在が気になっていた証左である。
朝日新聞から出ていた「論座」という雑誌に連載された対談を集めた一冊なのだが、登場する人が凄い。
小沢昭一(俳優)、茂山千作(狂言・人間国宝)、十二代目市川團十郎(歌舞伎)、竹本住大夫(浄瑠璃・人間国宝)、立川談志(落語)、喜見こいし(漫才)、宝生閑(能・人間国宝)、坂田藤十郎(歌舞伎・人間国宝)、伊東四朗(喜劇人)、桂米朝(落語・人間国宝)。
26歳の若者が太刀打ちできるような人々ではない、錚々たるメンバーである。この本の“はじめに”で、吉坊は入門したての頃の話を書いている。様々な質問を投げかける吉坊に、師匠の桂吉朝はこう言う。<「俺が話したくても、お前がその程度しか分かってなかったら話ができへん」>。
<それから10年>、様々な研鑽を積んだ吉坊に、当代の藝の達人に質問をする機会が来る。それがまとめられたものがこの本である。とても26歳の若者の仕事とは思えないクオリティである。”あとがきにかえて”で、吉坊は経験した習い事について、<踊り、歌舞伎の鼓から笛から鳴り物全般、義太夫、狂言……>と話している。さもありなん、しかも単なる習い事ではなく、それぞれをかなり掘り下げたであろう。
尚、伊東四朗さん以外は、物故者となられている。その意味でも、貴重な対談集である。
さて、二人会で出した演目「死神」のサゲについて書き残した。吉坊バージョンのアイデアは、ピン芸人のナオユキとのことである。松尾貴史とナオユキのYouTube“ふたりがかり”でそのことが話されている。
ナオユキ、ご存知ない方も多いと思う。大阪出身のピン芸人だが、落語芸術協会に所属し、東京の寄席にも出演する。初めて見た時は、ほろ酔いかげんの、大阪の変なオッサンが登場したと思った。そのちょっと危ない感じの芸風は、私の好みである。そんな彼と、米朝一門、“きっちり”とした桂吉坊の間に接点があるとは知らなかった。
もう一つ、YouTubeで発見したのは、笑福亭べ瓶がアップしている、“この人のこの噺”の#15で桂吉坊「深山がくれ」が取り上げられている。
「深山がくれ」は、桂吉朝がこしらえ、吉坊らが継承している演目。吉坊のそれは聴いたことないのだが、幸い師匠の音源は商品化されている。
印象に残っているエピソードの一つは、前述の本にも記載されている、吉坊と「深山がくれ」との出会い。中学生、入門前の吉坊は、吉朝が演じた「深山がくれ」のあまりの面白さに、帰宅後、ノートに書き起こす。
とんでもないことである。その時点での吉坊の落語鑑賞歴はさして長くない。この演目も初めて聴いたのだろう。さらに、このネタはロジカルと言える噺ではなく、一回聴いてその全容をつかめるものではない。まして、ノートに書き起こすなど神業である。「栴檀は双葉より芳し」である。
べ瓶のYouTubeは、こうしたエピソード始め、吉坊の人となり、師匠吉朝や米朝との関わりが分かる、見応え、聞き応えのある映像である。
再び、「桂吉坊がきく藝」に戻るが、“はじめに”に<名のない器は、いろんな人にお茶を出し、多くの人とかかわることで値打ちがつき、やがて名のある茶碗になっていくそうです>と、吉坊は書く。そして、10人の名人との対談が、<必ず僕にとっての芸の血肉になると信じております>とする。
この時点から、15年程度が経過した。その間には、ナオユキのような芸人との出会いもあったろう。“習い事”も大いに進化したことだろう。<桂吉坊という茶碗>は着実に進化し、値打ちが出てきている。
幸いに、その値打ちはまだピークに達していない。我々は、その上昇を見届けることができる
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