中づり広告の終焉〜見慣れた風景の変化
週刊文春に続き、週刊新潮も電車内の中づり広告を止めると報道されていた。気がつかなかったが、週刊ポストは2016年、週刊現代は2017年に撤退していたらしい。認識していなかったということは、私にとっても中づり広告の重要性が薄れていたというわけだ。
通勤時の車内、手持ち無沙汰の時に、中づり広告を見上げ、内容を見ると、7割方その雑誌を読んだ気になった。時は流れ、耳にはイヤホン、手にはスマホ、カバンの中にはiPadとKindleが入っている。見聞きするものが沢山あり、中づり広告を眺めることも無くなっていた。
雑誌の記事をチェックしていないかと言うと、そうではなく、週刊文春は家に配達されるし、それ以外は新聞に掲載された広告を見て、必要に応じてサブスクしている雑誌読み放題サービスで中身を確認している。(正直、そこまで興味を引く見出しは少ないが)
比較的アナログから離れていない私でさえ、これだけ行動変化が生じているのだから、世の中全体はもっと大きな変革が起こっているのだろう。
週刊文春は、中づり広告終了の理由として、広告校了のタイミングが雑誌校了よりも早く、最新の記事との差し替えに追いつかないことを挙げている。嘘ではないだろうが、費用対効果の面が大きいのではないかと思う。
中づり広告の終焉は、見慣れた光景の変化とともに、雑誌というメディアが抱える課題を示している
献立日記(2021/8/19)
鶏トマキムチ
まるごとピーマンのうまみ酢煮
小絹揚げ(三之助)
ビーツ、ケールとサラダ菜のサラダ(シークァーサードレッシング)