聖徳太子千四百年遠忌に読む〜山岸凉子「日出処の天子」(その2)
「日出処の天子」が連載された当時、私の中の山岸凉子の立ち位置は次のような感じだった。
代表作「アラベスク」(今回こちらも電子書籍化)、その面白さと共に、特徴的な画風が印象的だった。直近に連載されていた「妖精王」(1978年完結)は、絵の美しさに惹かれたものの、全体的にはやや消化不良だった。山岸凉子がビアズリーの影響を受けていることを知り、「サロメ」など画集を購入。
こうした状況の中で、1979年、週刊少女コミックに掲載された短編「天人唐草」は衝撃的だった。一人の女性の歪んだ成長、両親との関係を描いた作品だが、高校生の私は、そのラストシーンが頭にこびりついてしまった。ここまで人間の内面を抉ることがマンガでできる山岸凉子、その凄みに打ちのめされた。
そんな状況で提示されたのが、雑誌「LaLa」で連載が開始された「日出処の天子」である。
こうした流れを書きつつ、再読の感想を言語化しようとすると、「天人唐草」で大きな飛躍を遂げた山岸凉子が、歴史を舞台に人間の内面を掘りまくり、心理描写とドラマのエンターテイメント性を結集させ、圧倒的な画力で表現した、作家としての一つの到達点だった。
ここで描かれる、聖徳太子は、その伝説とも合致する天才である。一方で、極めて人間的な側面も持つ弱い存在でもある。彼が心を寄せる蘇我毛人(えみし)は、言ってみれば一般人である。ただ、その一般人も様々な悩みがあるし、感情の発露もある。
橋本治が「これで古典がよくわかる」で、<古典が教えてくれることで一番重要なことは、「え、昔っから人間てそうだったの?」という、「人間に関する事実」です>、<「なーんだ、悩んでいるのは自分一人じゃなかったのか」ということは、とっても人間を楽にしてくれます>と書いている。
山岸涼子が「日出処の天子」において、飛鳥時代を舞台に描いたことも、「人間に関する事実」である。聖徳太子は、もちろん天才でありスーパーマンで、歴史を動かしていく天才政治家である。しかし、彼にも悩みがあり、嫉妬心や煩悩がある。故に、歴史の世界で神格視された存在が、グッと身近なものに引き寄せられ、時代を超えて通じるテーマが提示される。
今改めて読むと、この作品においては、大きな歴史の流れを書きつつ、聖徳太子と蘇我毛人を中心とした人々の内面を一つ一つ積み上げていくことにより、圧倒的な迫力のフィナーレへと展開する。
次回は、その圧倒的なエンディングについて、もう少し触れてみる
献立日記(2022/1/3)
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