伊豆の下田には何がある?〜GWに訪れた開国の地
ゴールデンウィーク、伊豆の下田を訪れました。義父の遺骨を、その出身地である下田の本家の山に散骨するためです。
妻・義弟・義妹家族のちょっとした親族旅行の体で、散骨前日の夜には下田の居酒屋「開国厨房ぼちぼち」 で前夜祭。昭和がコンセプトで、なかなか居心地の良い店でした。内装のみならず、過去の歌番組を編集した映像を流しているのが凄い!
翌朝は日の出を拝みます。宿泊した下田プリンスホテル(黒川紀章設計)には展望温泉があり、朝風呂を頼みながら、大島・利島・新島・式根島が遠くに望みます。
下田駅でレンタカーし、目的の場所で散骨を果たすと、ランチは漫画家のはらたいらが贔屓にしたという鰻屋「川八」へ。予想以上に美味しいうなぎで満足しました。
近くの「龍宮窟」を訪れ、自然が作った不思議な景色を眺めることに。洞窟の上から見るとハート型になっているというので、遊歩道を上に登り見下ろすと、確かにハート型に。まぁ、だからどうだということなのですが。
下田駅に戻り、周囲を散策することに。“ペリーロード“という場所があるので行ってみました。
1853年、黒船で浦賀に来航したペリー提督は、開国要求の文書を差し出し、一旦引き上げます。翌1854年、横浜で日米和親条約が締結され鎖国が解けます。ペリーは、箱館(函館)を視察後、下田に入り細則を定める下田条約を締結しますが、その舞台となったのが了仙寺。
駅の方から歩くと、この了仙寺が起点となるのがペリーロード。上陸したペリーは川沿いのこの道を行進したと言われています。
なかなかに風情のある通りで、途中には大正4年建築の旧澤村邸があります。格子状に塗られた白い漆喰の“なまこ壁“が特徴的な建物です。なまこ壁は、旧澤村邸以外にも周辺の古い家屋に見られれます。
さらに先に進むと、海辺りにペリー上陸の碑が立っています。ペリーは下田港が安全かつ便利な点に満足していたそうです。
駅の方に戻る途中、“唐人お吉“が営んだ「安直楼」があります。お吉は、下田の船乗りの洗濯女でした。前述の条約等を受け、アメリカから後に初代駐日公使となるハリスがやってきて、下田に上陸します。ハリスは健康を害しており、身の回りの世話をするものとして、お吉が派遣されます。ところが、お吉に腫れ物ができ、3日間で暇を出されます。元の生活に戻ったお吉は、“唐人“〜外国人と交わったという偏見から、差別を受けたそうです。お吉の人生は、その後大いに脚色され、小説・芝居・映画になっていきました。(下田市の解説)
安直楼の先には、干物屋が何軒かありますが、やはり賑わっているのは小木曽商店本店。義父が健在のころ、こちらの干物を何度か送ってくれました。下田と言えば金目鯛。立派な金目、むろあじ、真鯵などを買い込みました。
交通渋滞を避け、往復は踊り子号。JRの数ある特急の中で、最も素敵な名前の一つではないでしょうか。
石川県能登地方では、大きな地震がありましたが、こちらは大きなトラブルもなく役目を果たして、プチ観光も楽しみました。
被災地の方々には、お見舞い申し上げます