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「ザ・ビートルズ:Get Back」〜あのルーフトップ・コンサートをもう一度

私が中学生の頃、ビートルズの映画のリバイバル企画があった。ビートルズが解散したのが1970年、私がこれらの映画を観たのが1974年頃のことだ。 友人と共に映画館に行き、「ハード・デイズ・ナイト」(当時は『ビートルズがやって来る/ヤァヤァヤァ』)、「Help! 四人はアイドル」「レット・イット・ビー」を観た。

前2作のビートルズは、一種のアイドル的扱いであり、ドラマと素晴らしい楽曲の組み合わせで楽しい映画になっている。一方、「レット・イット・ビー」は、アップル本社屋上でのコンサートを中心とした、ライブ/ドキュメンタリーで、解散直前の生の姿を映していた。 自分の部屋のドアに、この時買った「レット・イット・ビー」のポスターを貼っていたのを覚えている。

「レット・イット・ビー」のレコード盤は、同名かつポスター同様のジャケットで、ビートルズ解散後に発売された。その後、本作も含めビートルズの音楽は長年聴いてきたが、映画「レット・イット・ビー」を観る機会はなかった。Wikipediaによると、一旦ソフト化されるも、版権等の問題で発売中止となり、今に至っているようだ。

「ホワイトアルバム」発表後の、1969年初頭、ロンドン近郊のトィッケナムのスタジオにビートルズの4人を始め、スタッフが集まる。目的は1966年から撤退したライブの再開。しかし、ビートルズのそれは、普通ではないものが求められる。ライブ会場をどこにするか、そのための楽曲とアルバムの制作、具体化していないプロジェクトに向けて、ビートルズの4人を中心とした協働作業を写すべく、カメラが回された。

こうして、録画された画像や音楽を、「ロード・オブ・ザ・リング」などの監督ピーター・ジャクソンが、約8時間の作品に編集したものが「ザ・ビートルズ:Get Back」で、ディズニープラスで配信されている。

"Get Backセッション“とも言われているこの活動は、最終的には映画として公開されたルーフトップ・コンサートへとつながるのだ、その道のりは22日間におよぶ。

まず、画面に映るビートルズは、皆楽しそうである。決して、解散前夜という感じではない。その中で、4人はそれぞれにやりたいことが異なる。ポールは、ライブを再開したい。彼の本質はパフォーマーであり、その後のポールのキャリアでもそれは分かる。リンゴは俳優活動にもいそしんでいたが、画面上のリンゴはバランスを崩さないための重心のように見える。

ジョージは、自らの音楽活動を広げていきたい、ビートルズの末っ子から脱却したいという感じがある。そして、ジョン・レノンは、あるいは彼とオノ・ヨーコはどこに行きたいのだろう? この後、ビートルズのマネージャーとなる、アラン・クラインについて、ジョンが絶賛するシーンがあるが、この姿に違和感を覚えない人はいないのではないか。

こうした微妙なバランスの中、素晴らしい音楽が作り上げられる瞬間を、映像は捉えている。「レット・イット・ビー」、そしてアルバム「アビーロード」に結実する楽曲が、様々な想いをかき分けながら紡がれる。そのことを目撃するだけでも、このフィルムを見る価値がある。

ビートルズを取り巻く多くの人が映像に収められているのだが、特筆すべきは、触媒として機能するのが、キーボードのビリー・プレストン。膠着した状態を、ゲストとして現れる彼が打開する。プレストンがいなければ、この時点でビートルズは空中分解し、アルバム「アビーロード」も「レット・イット・ビー」もなかっただろうと思われる。

長い長いプロセスの後、クライマックスのルーフトップ・コンサートにようやく辿り着く。ポールのリードで“Get Back"が演奏され、続いて、ジョンが“Don't Let Me Down“を歌い始めると、なぜだか涙が出そうになる。

その感動は、彼らの純粋な演奏が喚起するのか、それともその後を想起するからか。


なお、本作を通じて、“Get Back"と“Don't Let Me Down“が裏表の関係にあるような重要な楽曲であることを感じる。事実、それぞれをA/B面としたシングルが発売された。しかしながら、フィル・スペクターの手に委ねられたアルバム「レット・イット・ビー」に“Don't Let〜“は未収録となった。(2003年、当初のアイデアを再現すべく作られ発売された「レット・イット・ビー・ネイキッド」には収録される)

この映像作品を観てからは、「レット・イット・ビー・ネイキッド」が、よりしっくり来るアルバムに感じられる




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