ライブの記憶 2 〜2度目のコンサートはKISS!!(その1)
僕の初のロック・コンサート体験は1977年のエアロスミスだったわけですが、続いたのがKISSでした。
当時「ミュージック・ライフ」誌上で、“御三家“とされたのが、クィーン、エアロスミス、KISS。私はみな好きでしたが、とりわけKISSはファンクラブにも入っていました。手書きの会報に、ロサンゼルスのアナハイム球場でのコンサート・レポートが書かれていて、何度も何度も読んでいました。
そんなKISSが初来日する。公演日は中3から高校に上がる春休み、完璧です。エアロの時のように2階席は嫌だ。発売日の早朝、ウドー音楽事務所に友達と向かいました。事務所の前に並び(定時の点呼で自主的に行列を差配していた人がいたと記憶します)、事務所が開くと整理券を受け取りました。
ここで僕たちは、ちょっとした罪を犯しました。もう時効なので告白します。数人で出かけたので複数枚の整理券をゲットしたのですが、1枚の整理券で何枚かチケットを購入することができました。したがって、整理券が数枚余ったのです。それを僕らはいくばくか(決して大金ではありません)で、遅れてやってきた人に売ったのです。ごめんなさい。
コンサート前からひと盛り上がりありました。僕らは、ロック・アーチストの常宿と言われたホテルに出かけたのです。中坊ですからホテルの中に入ることははばかられ、玄関で友達とグダグタおしゃべりしていました。
するとなんということでしょう、素顔のポール・スタンレーとジーン・シモンズが出てきたではありませんか。興奮状態の僕たちは、サインを求めて近づき、二人も笑顔で応えてくれようとしたのですが、脇を固めるボディガードに阻止されたのでした。。。。(泣)
KISSは4枚目のアルバムにして初のライブ盤「Alive!」がヒットし、一躍有名になりました。私が最初に買ったのも「Alive!」でライブ・バンドとしての魅力が詰まっていました。その前のスタジオ・アルバムも買い集めましたが、音がちょっと弱い印象でした。
1976年3月に新アルバム「Destroyer」日本語タイトル「地獄の軍団」が出ます。名曲“Detroit Rock City“で始まるこの作品は、これまでとはガラッと変わり、重厚なサウンド、コンセプト・アルバム的な作りで、KISSのイメージを変えました。
さらに同年の11月には「Rock and Roll Over」、「地獄のロックファイアー」をリリースします。こちらは打って変わって、シンプルでストレートなロック・アルバム。「Desroyer」でKISSはどこに行くのだろうと、ちょっと不安な気持ちになっていた僕はちょっと安心したのでした。
絶頂期を迎えようとするKISS、来日コンサートは大阪から始まったのでした。大阪公演は1977年3月24日と25日大阪厚生年金会館、29日がフェスティバルホールで開催されました。チケットは手元になく(武道館公演のチケット写真をネット上で発見しました)、どの日に行ったかは記憶していないのですが。
さて、どんなコンサートだったのでしょうか
(続く)