私自身は消化不良だったけれど〜「オッペンハイマー」は映画館で体験すべき
ようやくという感じで「オッペンハイマー」を観た。既に多くの映画評があふれているので、私ごときが付け加えることはないのだが、備忘録的な感想を。
まずは映画館で体験すべき作品だと思う。その辺りはクリストファー・ノーラン監督もかなり意識したのだと思う。核兵器の威力・恐ろしさを、あの画面、そして音響が、一種のモチーフとして働きかけてくる。
オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)と精神科医で共産主義者のジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)のシーンなど、ノーラン的な映像表現も印象に残った。
ただ、ノーランが「オッペンハイマー」で表現したかったことが理解できたかと言えば、私自身は消化不良の感がある。胸に迫るものを感じきれなかった気がする。
千葉大学教授の神里達博が「オッペンハイマーが人類にもたらした呪い 解くのは言葉による対話」と題した記事の中で、<ともかく、できれば何度か見るとよい映画だと思う。見るたびに新たな気づきがある。>と書いている。その通りのように思う。
同記事によると、オッペンハイマーは1960年に来日し講演を行なっている。彼は<自分は核兵器をこの世界から追放したいと思っているが、どんな方法を使っても、世界を20年前に戻すことはできない。なぜなら、人類はすでにそのような兵器の製法を「知って」しまったからである。この「知識」を追放することはできないのだ>と語ったそうだ。
人間は知ること、知識を得ることをやめることはできない。そうして得た「知識」から、さまざまなモノを生み出すことも止めることはできない。そうして、人類は「進歩」してきた。
一方で「知識」とその産物を野放しにしていると、「進歩」は「崩壊」へと向かっていく。
「オッペンハイマー」、体験することはできたが、もう一度観てみようか
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