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旅の記憶20〜セビリアの闘牛(その3)

セビリア・シリーズの最終回

闘牛の最終ステージ、リングには本日の主役マタドールが颯爽と登場する。マタドールはムレタという布を持ち、弱ってきた牛と対面する。ムレタを巧みに操り、牛を翻弄するが、牛の方も最後の闘争心を振り絞って立ち向かってくる。死と向かい合いながら、いかに美しい演技で牛をかわすか、マタドールの身のこなしに観客は集中する。

そして、最後の一撃を放つ「真実の瞬間」が訪れず。マタドールは、先が曲がった形状の剣を持ち出す。牛の正面からアプローチし、首の後ろのツボに刺しこむと、曲がった剣の先は牛の急所へと届き、牛はコロッと絶命する。「必殺仕掛人」の藤枝梅安の針の一刺しのようなもので、おそらく牛は苦しむことなく絶命するのだろう。

単に牛を殺すことは難しくない。しかし、上記のように勇気と技術を持って、“適切“に死を招く時となるのか、「真実の瞬間」である。

もちろん、必ず上手く行くわけではなく、コロッと死ねない場合もあり、その場合マタドールへの評価においてマイナスとなる。逆に、美しい演技とフィナーレを見せられると観客は喝采し、その評価によってマタドールには牛の耳が贈られ栄誉が讃えられる。シーズンを通じて、獲得した耳の数がカウントされ、マタドールの番付が形成されるようだ。

1回の興行には、マタドールを中心としたチームが3組登場する。そして、それぞれが2回のパフォーマンスを披露するので、観客は都合6回の闘牛を見物することになる。各回は、テンポ良く進行するので、冗長な印象は全くなかった。

闘牛は残酷と批判されることも多い。確かに、微妙なエンターテイメントではある(下記の映像含め、YouTubeでは再生の際に警告が出る)。幼かった娘2人は、さほど怖がることもなく、ホテルのTVで流れていた闘牛の中継を見たり、ビデオを欲しがったりしていた。

殺された牛は解体され食用となるそうだ。我々は、日々命を絶たれた動物のお世話になっている。そうしたことに思いを抱かせる、神聖な儀式のように私は考える。そして、自分が食用牛だったら、闘牛場で名誉の死を遂げたいとも


献立日記(2021/11/10)
豚肉と玉ねぎのしょうが焼き
自家製餃子
冷奴〜ちりめんじゃことうまみ酢

*闘牛の紹介〜ショートビデオ



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