旅の記憶36(その1)〜1975年のロサンゼルスとドジャースタジアム
大谷翔平の移籍先はロサンゼルス・ドジャースに決まりました。私が初めてMLBの試合を観たのはドジャースタジアム。その頃のことを、色々思い返しました。
1975年7月から翌年にかけて、アメリカは独立200周年〜“Bicentennial“を祝っており、お祭りムードで包まれたロサンゼルスで、私はホームステイを体験しました。中学2年の夏休みです。中学生〜高校生のツアーで、1〜2人単位でビバリーヒルズ近郊のホストファミリーのZovakさん宅にお世話になり、午前中は学校で英会話の授業を受けたりグループでのアクティビティでした。
約50年前、今のようにネット情報が飛び交う時代ではありません。様々なサプライズがありました。
日本でも友人や親戚の家に泊めてもらったことは多々ありましたが、どこでも必ず「お風呂沸いているから入りなさい」と勧められました。ところが、Zovak家は誰もそんなことを言ってくれません。私がステイした家にはプールはなかったのですが、午後は近所の家に遊びに連れて行かれ、そこのプールに入っていたので、「まっいいか」と思っていました。しかし、そこは日本人、3日もするとシャワーを浴びたくなりました。ところが、「シャワーを浴びる」という表現が分からない。“shower“は知っていますが、“浴びる“が??? 辞書で探し“take“を使えば良いことを発見、ようやくMrs. Zovakに「Can I take a shower?」と尋ねることができました。
Mrs. Zovakがランチボックスを用意してくれました。最初に、「ツナサンドかピーナツバターサンドになるけどいい?」と聞かれました。当時、“ツナ“などという単語は日本では一般的に使われておらず(多分“シーチキン“と呼ばれていた)、“Tuna“という英単語も分かりませんでした。その頃の私は“食わず嫌い“時代だったので、「ピーナツバターがいい」と応えました。すると、毎日ピーナツバターサンドとなりました。ただ、小さなパケットのポテトチップスが入っていて、それがとても美味しい。日本には、大袋のものしかなく、本場のそれとは味の上でも差が大きかったように思います。
食べ物と言えば、アイスクリームが異常に美味しかった。多分ホームメイドだったと思います。他方、駄目だったのがオリーブ。サラダに、見慣れない黒いスライスが入っていて、口に入れると食べたことのない不味さ。その頃、オリーブが食卓に並ぶことなどなく、驚きの味でした。もちろん今では好きですが。
そう言えば、Zovak家には私と同年代の長男、次男、末っ子のMary-Kayという名前の少女がいました。ある時、Mrs. Zovakが「Mary-Kayは養子なのよ」、さらりと教えてくれました。「アメリカ人ってオープンなんだなぁ」と感じた出来事でした。
1975年の夏、アメリカで大ヒットした映画はスピルバーグ監督の出世作「ジョーズ」。Zovak家はこの映画を見に、私をドライブイン・シアターに連れて行ってくれました。駐車場に車を停め、たしか備えつけれれたコード付スピーカーを車中に引き込んだと思います。当然英語のみで意味がよく分からず、うつらうつらしていたのですが、人喰いザメが襲ってくるシーンは衝撃的でした。
映画も楽しかったのですが、西海岸と言えばテーマパーク。そしてアメリカと言えば野球・アメリカンフットボールといったスポーツです。
本題のドジャースタジアムの思い出などは、また明日に