PYGという分岐点(その2)〜沢田研二と萩原健一
PYGのライブ演奏を聴くと、井上堯之、大野克夫を中心としたバックの演奏が素晴らしいことがよく分かる。島崎今日子の「ジュリーがいた」によると、沢田研二はPYG時代は楽しかったと述懐していたことが紹介されている。沢田は、<大野さんと井上さんがいてくれることで、「この曲やりたい」と言ったらすぐやってくれるわけね>、さらに彼らから音楽的なことを教わり、<この時期がなかったら、その後のキャリアはどうなっていたんだろうと思う>と語っている。
スパイダース出身の井上と大野は、2人の素晴らしいボーカリストを得て、楽しんでいたし、沢田と萩原健二の関係も良かった。それでも、PYGは上手く行かなかった。GS時代からのファンは、ジュリー派とショーケン派が対立、西部講堂や日比谷野音では”コア”なロックファンからは罵声を浴びせられたらしい。
こうした反応は音を聴く限り、的外れなのだが、ジュリーとショーケンという既にスターであった2人を擁した悲劇とも言える。一方、沢田研二はPYGと並行してソロ活動を始めていて、渡辺プロ側の思惑もあり、ジュリーはソロ活動へ移行、PYGは自然消滅する。ファンが受け入れたなら、PYGは日本のロック史に残る存在になったようにも思える。
萩原健一は、PYGの音を聴くと独特の色気を発信して歌っている。ただ、沢田研二と比べると声量の差は否めない。「ジュリーがいた」によると、ショーケンは自著に<PYGをやっていて、改めて気づかされたことがあります。歌に関しては、ぼくは沢田研二と張り合えない、ということ>と書いている。
そして、萩原健一は映画の制作、俳優としての道を歩む。沢田研二の才能に惚れ込んでいた井上堯之と大野克夫、岸部らは、沢田のバックでソロ活動を支えていく。
同時に井上らは、「太陽にほえろ」、「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」の音楽を担当し、萩原健一の俳優活動を支えていく。最近、「前略おふくろ様」を観たが、今観ても古臭く感じないのは、萩原健一、桃井かおりの存在と共に、井上堯之の音楽にあると思う。
「ジュリーがいた」に導かれ、PYGの音楽を初めて耳にし、そこにいるアーチストの才能を感じると共に、PYGという活動が新たな活躍の為のスプリング・ボードであり分岐点であったことを認識した
献立日記(2021/11/1)
ブリの塩焼き
キムチ納豆豆腐
菜の花のうまみ酢和え
ミニトマトの大葉ソース和え
*沢田研二、井上堯之、大野克夫の対談(ホストは上岡龍太郎)