見出し画像

松村雄策さん死去の報〜“66枚のレコード“と「ロッキング・オンの時代」

松村雄策さんの訃報が流れた。

ロックへの入口は雑誌「ミュージックライフ」だったが、やがて「ロッキング・オン」へと移っていった。高校2・3年生の頃である。

編集長の渋谷陽一は、ラジオでも我々を刺激しつつ、雑誌というメディアを通じて世界を広げてくれていた。雑誌というのは、遠いメディアではなく、裏側の書き手や編集が見える世界であることを教えてくれたのは「ロッキング・オン」であったと思う。

その書き手の一人が松村雄策であったが、彼に対して、私や友人は“ビートルズ信者“というラベルを貼っていたように思う。どちらかというと“新しい音楽“を求めていた我々にとっては、脇役ライターというイメージである。

「ロッキング・オン」は、1972年に渋谷陽一、岩谷宏、橘川幸夫、松村雄策の4人で創刊された。渋谷は大学に入りたての頃である。その頃の出来事を中心に、橘川は自身の視点で書いた「ロッキング・オンの時代」という本を出している。創刊時は、書店を一軒一軒たずねて販売を委託、資金繰りにも奔走する。私が読み始めたのは、そんな雑誌も軌道に乗り始めて頃だったのだろう。

松村の死を受け、パラパラと本を眺めると、“松村雄策“という見出しがあった。橘川によると、<創刊の頃の会議に松村はあまりいなかったように思う>、<いつも約束の時間にあらわれなかったのである>。松村は創刊号から“アビィ・ロードへの裏道“を連載しており、自身や渋谷・岩谷の連載が、<思考的な営為が中心>であったことに対比し、<松村だけは、ビートルズ・ファンであるという『実感』を大切にしてきたのだと思う>と書いている。

橘川は創刊の10年後に「ロッキング・オン」を離れるが、私もその頃からその雑誌から距離を置き始めたと思う。そして、私の視野から消え、たまに新聞紙上で渋谷陽一が書くコンサート評に触れる程度となった。その間に、「ロッキング・オン」はロック・フェスも主催するような、大きな存在になっていった。

私は“新しい音楽“を追いかけることには熱心でなくなり、“古い音楽“を聴き直す、知らない“古い音楽“を知ることに比重を置くようになった。そんな中、 2017年、私は松村雄策が上梓した「僕を作った66枚のレコード」という本を目にし、すぐさま購入した。私にとっての「ロッキング・オンの時代」がそうさせたのだと思う。

この本は、松村が「ロッキング・オン」誌上に連載していた、“レコード棚いっぱいの名盤から“の中から66話、66枚を選んだものである。2017年、松村は66歳になっていた。

選ばれた66枚は、松村雄策が形成された60・70年代の作品がほとんどで、いわゆる「名盤」もあれば、松村の独特のセレクションもある。ビートルズはもちろん何枚も選ばれ、1枚目がビートルズを産んだとも言えるエルビス・プレスリー、2枚目がザ・ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」そして、最後はジョンとヨーコの「ダブル・ファンタジー」というのは当然とも言える。

この素敵な本を、私は楽しく読ませていただいた。読むだけではなく、可能な限り、取り上げられたアルバムを聴いた、もちろん登場する順に。所有していて何度も聞いている作品もあれば、未聴あるいは積極的には聴かないアーチストの作品もあるが、とにかく聴いてみた。どの作品も魅力的で、“ビートルズ“だけではない音楽評論家、松村雄策を楽しんだ。

あらためて、この66枚を聴いてみよう。ご冥福をお祈りします


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?