イースターである〜マグダラのマリアに行き着く
イースター、復活祭である。イースターは移動祝日なので、年によって結構前後する。「春分の日の後の満月の後の日曜日」ということのようだが、春分の日を、固定日とするかどうか、月の満ち欠けの計算法など、色々、ややこしいく、東方教会と西方教会で日付が違う。4月4日は西方教会のイースターである。尚、来年は4月14日と、年によってかなりズレる。
ロンドン時代は4連休だったので、旅行に行くことが多かったので、そのことを書こうかとも思ったが、旅ネタとして、また今度にして、もうちょっとイースターに関連することを考えた。
言うまでもなく、イースターはキリスト教の祝日、ゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストの復活を祝うものである。キリストが処刑に至るプロセスは、”受難”として、 JSバッハは「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」を作り、 イースターの前後で、演奏会が開催されることも多い。
絵画の世界では、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるし、処刑のシーンは数多くの絵画がある。では、復活のシーンについては、どうだろう。
処刑されたイエスは、墓に葬られる。ヨハネによる福音書では、マグダラのマリアが墓を訪れると、石が動かされイエスの遺体がなくなっており、ペテロら弟子にそのことを告げる。そして、マリアが墓で泣いていると、天使たちに話しかけられ、後ろに人が立っていて、<なぜ泣いているのか、だれを探しているのか>と尋ねられる。マリアは、イエスの体がある場所を尋ねるが、その人が、<「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボ二」と言った。「先生」という意味である>。
その人はイエスだった。そして、イエスはこう言う。<わたしにすがりつくのはよしなさい、まだ父の元へ上がっていないのだから>と復活の途上であることを伝える。
<文春新書「新約聖書I」より>
このシーンが、 絵画の題材となり、下線の言葉のラテン語「ノリ・メ・タンゲレ(直訳では”わたしに触れるな”)」が絵のタイトルとなっている。私の観たものー正直あまり記憶に残っていないがーフィレンツェのサン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコによるもの、ロンドンのナショナルギャラリー所蔵のティツィアーノ、プラド美術館のコレッジョである。
復活したイエスの姿が最初に見られた劇的な場面ということで、画家の想像力も刺激したのだろう。この後、イエスは弟子たちの前に現れる
フラ・アンジェリコ
ティツィアーノ
コレッジョ
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