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43年ぶり‼︎ドジャースvsヤンキースのワールドシリーズ〜1978年の思い出

大谷翔平は、何度“マンガ“を超えるのでしょうか。ワールドシリーズ進出を決めたどころか、対戦相手がニューヨーク・ヤンキース。対戦相手は大谷が決めることができないのですから、何か特別な力が働いているとしか考えられません。

両チームの対戦は43年ぶり、もっとやっているようなイメージですが、本当に久方ぶり。報道では12度目の対戦とされていますが、1958年にドジャースがニューヨークのブルックリンからロサンゼルスに本拠地を移してからは、1963・1977・1978・1981年と4回の対戦でした。

今日は1978年の思い出です。

私がドジャースタジアムで観戦したのは、以前に記事にした通り1975年。当時、MLBの試合を日本で観ると言うことは、夢のまた夢でした。Toppsというガムに封入された選手カードを30枚ほど買って帰国しており、それを何度も眺めていました。

そんな状況が変化し始めたのは、NHKが第1戦を放送 した1977年のワールドシリーズ。ヤンキースの主砲レジー・ジャクソンがドジャースからシリーズ5本の本塁打、勝負を決めた第6戦は1試合3本、“ミスター・オクトーバー“と言われ優勝に貢献したことがニュースとなったのです。

そして翌1978年、フジテレビが「アメリカ大リーグ実況中継」を始めました。今回のワールドシリーズ、フジが地上波中継を決めましたが、実はMLB放送をレギュラー化したのはフジが最初でした。

ようやく日本でもMLBが観られるようになり、私も熱中していました。ゲスト解説の“パンチョ“伊藤一雄も懐かしい。放送でよく取り上げられたチームが、ヤンキース、ドジャース、そして“ビッグ・レッド・マシン“シンシナティ・レッズでした。

3チームともスター選手揃い、今でも多くの選手名をそらんじることができます。ヤンキースなら、前述のジャクソンのほか、二塁手ウィリー・ランドルフ、外野手ミッキー・リバース、1979年に飛行機事故で亡くなる捕手サーマン・マンソン。。。。。

ドジャースは、一番セカンド、デービー・ロープス、二番ショート、ビル・ラッセル。。。。レッズは、ピート・ローズ、ジョニー・ベンチ、ジョージ・フォスター、シーズン終了後には日米野球で来日しました。

そして1978年のワールドシリーズは、前述の通り、1977年に続きドジャースとヤンキースの対戦、これがフジテレビで放送されました。Wikipediaによればゲスト解説は長嶋茂雄。長嶋さん、興奮したでしょうねぇ。

シリーズのラインアップを眺めると、色々記憶が蘇ってきます。主砲はヤンキースはジャクソン、ドジャースは、1974年MVPのスティーブ・ガービー。第1戦、ドジャースの先発は、手術名になったトミー・ジョンでした。

その後、日本でプレーした選手もいました。ヤンキースのロイ・ホワイト、ドジャースのレジー・スミス。巨人に入団した時は、凄い選手を獲得したと興奮した覚えがあります。すっかり忘れていましたが、トマソンが第2戦ヤンキースの先発選手にいました。

この年、ドジャースには前年ドラフトされたルーキー投手、ボブ・ウェルチが頭角を表しました。(当時、同名のアーチスト〜元フリートウッド・マック〜がソロアルバム「フレンチ・キッス」でヒットを飛ばしていたので、よく憶えています)

シリーズはドジャースがホームで2連勝。第2戦ロン・セイの逆転3ランHRが劇的、1点差で迎えた9回表、ヤンキースはリリーフで登場したウェルチを攻め2死1・2塁でレジー・ジャクソン。ウェルチはブラッシュバックも交え、三振にしとめました。悔しがったジャクソンは自チームのダッグアウトにバットを投げつけました。

ところが、ニューヨークに戻りヤンキースが3連勝。第4戦で延長サヨナラ安打を打ったのは、ルー・ピネラ。後にマリナーズの監督となりました。ホームに生還したのはホワイト。そして打たれたのはウェルチ。

ロサンゼルスに戻っての第6戦、ヤンキースがリードする展開、7回にはレジー・ジャクソンがシリーズ2本目のダメ押しHRをボブ・ウェルチから奪い、リベンジを果たします。最後は絶対的守護神リッチ・ゴセージが抑えヤンキースが連覇を果たしたのでした。

なお、次の対決となった1981年のシリーズ。ドジャースは多くの主力選手が残っていました。シリーズはヤンキースがホームで2連勝、ドジャースがロサンゼルスで3連勝の後、敵地でも勝利し、1977・78年の雪辱を果たしたのでした。

さて、43年ぶりの対決、勝利をつかむのはどちらのチームでしょうか。そして大谷は“ミスター・オクトーバー“となるでしょうか


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