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内田光子の演奏に人生の“変容”を感じる〜ベートーベン「ディアベッリ変奏曲」

コロナ禍も少し落ち着く中、海外から来日するアーチストも増えてきた。そして、内田光子との再会が実現した。10月19日のサントリーホール公演。

前半は、モーツアルトのピアノソナタ15番。内田光子が弾くモーツァルト、いつも最初の数音が響いたところで、胸が締め付けられるような気持ちになる。何故なのだろうか。そして、その後は流れに身を任せる。この日も、そんな体験だった。

そして、後半のベートーベン「ディアベッリのワルツによる33の変奏曲」。1時間に渡るベートーベン最晩年の大曲は、最後のピアノソナタ32番完成の翌年1823年に完成した。なお、交響曲第9番(合唱付き)は1824年の作品である。

最近、手塚治虫のマンガ「ブッタ」を再読したが、その中でブッダー釈迦がこう語る。<川の流れがつねに動いているように、運命というものは始めから決まってはいない つぎつぎと変わっていくものだ>。

内田の演奏を聴きながら、人間の運命あるいは人生が変化していくイメージを感じていた。可愛らしいテーマが演奏された後、テーマは時の始まりを感じさせる音楽、“Alla Marcia Maestosoー荘重な行進曲風に”に変化する。

その後はいわゆる変奏曲的に、さまざまな技巧で曲は変化するが、第14変奏で音楽は一旦重々しいものとなり、その後は曲の性格が大きく展開していく。

それは、あたかも苦もあれば楽もある、他者からの様々な影響も受ける、人間の人生・運命を象徴しているかのように聴こえてきた。

第22変奏では、ベートーベンの先駆者であるモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の“夜も昼も苦労して”の旋律が使われる。ジョバンニの従者レポレロが、『貴族に使えるのは大変、貴族になりたい』とぼやく歌である。

さらに第23変奏はフゲッタ(小フーガ)となり、 もう一人の巨人バッハに想いが行く。こうした先人たちの上に自分があることをベートーベンが意識してこの大曲を作ったように思わせる。そして、ベートーベンの功績により、バッハやモーツァルトの死後の人生・運命とでも言うものが変化したに違いない。

作品は、軽やかな音の中で、次々に変化していく第33変奏で華やかに幕を閉じる。

ベートーベンはこの曲を「変奏曲」とは名づけず「変容」という意味のドイツ語を付している。まさしく、「変容」を体験する1時間であり、それは内田光子の名演によってもたらされた。

完全燃焼したピアニストはアンコールの演奏は行わなかったが、納得の観衆のスタンディング・オベーションは声のない大歓声であった


追:若き2人の日本人がショパンコンクールで2・3位に輝いた。報道にもある通り、これまでの日本人最高位は内田光子の2位だった。2人の今後に期待、内田光子のように濃密な時間を提供してほしい

献立日記(2021/10/22)
外食


*内田光子はまだ「ディアベッリ変奏曲」のCDは出していない。
映像は、引退するまではロンドンを本拠地としたアルフレッド・ブレンデル


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