れいわ怪異譚❿ 【走り去る彼】



                   四百字詰原稿用紙約七枚程度

 今年もまたコウキチが戻ってきた。よたよたとぼとぼと一人走る。

 半分禿げた白い坊主頭に手拭いを巻き、背中を丸め、首を前に突き出し、白いランニングシャツの脇から枯れ枝のような肘を斜め後ろに突き出して走る。

 肉が削げ落ち、膝が伸びきらないパンタグラフのような細い脚がショートパンツの裾でもがく。足元は不似合いな真新しい青いランニングシューズだ。

 陽焼けが深く染み付いて渋紙色になった顔を苦しそうにくしゃくしゃに歪めて、というか丸めて、よたよたとぼとぼと走ってくる。コウキチ、おそらくもう八十歳台に乗っているのではないか。

 河畔の遊歩道は一箇所だけ広い車道を横断歩道で渡るところがあり、ここでコウキチはいつも信号が変わるのを待ちきれずに飛び出す。

 早朝の車通りの少ない時間帯だからできる規則破りだが、そのうち撥ねられて死ぬだろう。

 そういう私も、いつか信号のないところを渡ろうとして轢かれる。おばさま然とした女性に連れられてちょうど通りかかった散歩中の犬のキョトンとした眼が、車道に打ち倒されて割れた私の頭から血が吹き出すのを目撃するだろう。

 私もコウキチとそうは違わない年齢だ。ずいぶん長く生きた。あるときは不本意ながら、あるときはささやかな矜持として、一貫して犬の目線の低さで生きてきた。ふざけるなよ、調子にのるな、いい加減にしろ、と。

 だからぼうっと散歩中の無関心な犬にわけもわからず看取られるという最期の想像は私なりに気に入っている。

 車道に倒れて歩道上の犬を見上げるという角度もいい。無邪気な眼を見つめて死にたい。

 あの走る老人を、以前はこっそり敗残兵と名付けていた。ただその身なり身のこなしからだ。そして走っているのはジョギングではなく持久走で、きっとその最中に死ぬのだ、と失礼にもほどがあるが、心の中で弄んでいた。

 敗残兵がコウキチになったのは、さも苦しげな表情のせいだ。そんなに苦しいなら止めればいいものを、春から秋まで、雨の降るとき以外はほぼ同じ時刻に同じコースを走り続ける。

 どうしてそんなにしてまで走るのか。

 実在のコウキチ、円谷幸吉は一九六八年一月九日、陸上自衛隊朝霞駐屯地内にある自衛隊体育学校宿舎の自室で剃刀で頸動脈を切って自死した。享年二十七歳、東京オリンピック男子マラソンで銅メダルを獲得してから四年目、つまりメキシコオリンピック開催年の新春のことだ。

 遺書が公開されている。


*****

《家族に宛て》


父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました

干し柿、もちも美味しゅうございました

敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました

勝美兄姉上様、ぶどう酒、リンゴ美味しゅうございました

巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました

喜久造兄姉上様、ぶどう液、養命酒美味しゅうございました

又いつも洗濯ありがとうございました

幸造兄姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました

モンゴいか美味しゅうございました

正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん

ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん

ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん

幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君

立派な人になって下さい


父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません

何卒お許し下さい

気が安まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません

幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました


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《自衛隊の上官に宛て》


校長先生、済みません

高長課長、何もなし得ませんでした

宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません

企画課長、お約束守れず相済みません

メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます


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 胸が苦しくなる。

 人は生まれて死ぬ。誰でもそれは同じ。その〈生まれ〉と〈死〉のあいだになにをなすのかがそれぞれの人生だ。

 円谷幸吉の〈生まれ〉と〈死〉のあいだにはもちろん走ることがある。そしてわずかに許された隙間に食べることがあった。人として、いや生きるものとして極限まで凝縮されたありかただった。

 この遺書は社会に強いインパクトを与えた。

 ノーベル文学賞作家、川端康成は「ありきたりの言葉が、実に純な命を生きている。そして遺書全文の旋律をなしている。遺書につきものの臭味・厭味・誇張・虚飾また自己否定か肯定、そして自己の弁護や顕示がみじんもない。ひとえに素直で清らかである」「社会の辛酸をなめた大人は、時として、子供の純朴さに触れるとき、己の穢れた姿をみるのだろう。感謝の言葉に満ち溢れた円谷幸吉の遺書に感情を押さえきれない」と書いた。

 また三島由紀夫は円谷幸吉の死について「傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺であった」とし、「円谷選手のような崇高な死を、ノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」と書いている。


 ふざけるなよ、調子にのるな、いい加減にしろ。

 円谷幸吉は生まれて走って食べて死んだ。それで十分だ。「ひとえに素直で清らか」だとか「傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺」だとかは下衆な場末のババアの深情けみたいなものだ。

 コウキチはなぜ走るのだろう。

 どん! という衝撃があって、体が浮き、アスファルトの車道に叩きつけられ、少し擦れて、それから弾みで右肩と両脚が跳ね上がった。

 ああ、車に撥ねられたのだ。

 いつかこうなるとは思っていたが、このときがこんなに早くやってくるとは思わなかった。いやこんなものなのかもしれない。決定はいつも向こうからやってくる。

 誰かが大声で叫んでいる。

 すまない。迷惑をかける。しかしできれば完全にくたばるまで放って置いてもらえないだろうか。

 向こう側の歩道を通りかかったきれいなシェパードがきょとんとした眼で立ち止まり、こちらを見ている。

 あら、あの方どうしちゃったのかしら。

 そんな感じで美人は冷たいものとどの世界でも決まっている。目を覚まさせるほどの力量でもなし。

 うっかりしていた。……、でもやっぱりこんなものなのだろうな。

 倒れている私のすぐ横を青いシューズを履いた足がよたよたとぼとぼと追い抜いていく。コウキチ先輩だ。コウキチ先輩にはまったく敵わない。

 しかし先輩はどうしたわけか上半身がなくて脚だけだ。凄いな。少しは見習わなければいけなかった。

 でもね先輩、死ぬのはやっぱり少し怖いね。


                              (了)

 




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