れいわ怪異譚❺ 【ソラマメと満月】
四百字詰原稿用紙約四枚
中里倫夫はひどい倦怠感にとらわれていた。なにもかもが鬱陶しく退屈で滑稽だった。疫病や戦争、弱者を標的にした凶悪犯罪など心に重くのしかかるニュースに長いあいだ晒されていたのもよくなかったし、就職が内定して外に出る機会が大幅に減ったのもよくなかった。
しかも就職が決まったということは中里倫夫にとっては、新しい果てのない徒労と忍耐のはじまりの合図でしかない。そこにはなんの意味も見出せないし、そのことでなにかが展開する可能性もない。
可能性?
可能性という言葉すら不適切だと中里倫夫は思う。可能性といってしまえば、それはそこにおいてゼロパーセントではありえない。ゼロパーセントの可能性は存在しない。
これからは、そんな小さなロウソクの炎よりもさらに微かな幻の灯で自分を欺いて生きていくしかないのだ。ゼロパーセントの可能性。
ほとんど鬱状態で冬を過ごし、ようやく春の気配が感じられはじめるようになったころ、中里倫夫は力を振り絞るようにしてアパートの近所の公園での散歩を自分に課した。
散歩道に並ぶ川の反対側には古い屋敷があり、低い垣根越しに庭の畑も見える。そこに植えられている植物が、支柱に沿って驚くべき速さで空に伸びていく生命力の旺盛さで中里倫夫を圧倒し、怯えさせた。
一度だけ見かけたことがある屋敷の住人はまるで古木といった顔付きの痩せた老人だった。かつて学生運動に身を投じ、敗北した後も仲間たちの裁判や服役の支援に長く奔走したという話を、新聞の地域版で読んだことがある。
中里倫夫はその記事に勝者の驕りを感じて嫌な気分になった。結婚もせず、生涯独身でいまは親の遺した家に独り暮らす老人の姿は敗残者の恰好のさらしもののように映ったからだ。
それはみんなと同じように真面目にやらないとこんな惨めなことになるよ、と言外に語っているように思えた。
屋敷の庭の畑の植物はやがて青々とした葉を茂らせ、血マメのような濃い紫の斑と脈をもった白い小さな花を咲かせた。
畑に老人の姿を見かけることはなかったけれども、一メートルほどに伸びた蔓の先がきれいに刈り取られていたりして手入れはいき届いているようだった。
そしてある満月の夜、屋敷の横を歩いていた中里倫夫は、花が咲いていた葉の脇から豆のサヤが伸びているのを発見した。サヤは小さくても生命力に溢れ、しかも恐るべきことに空に向かって生えるのだった。
やがて濃い緑色のそれはいまにもはち切れそうに豆を宿して、優に大人の一握り以上はある長さと太さで天を突いた。
孤独を通した老人がなにを思ってソラマメを育てていたのかわからない。考えてみれば一人暮らしでそんなにソラマメを消費するとも思えない。
再びの鏡のような満月の光の下、ソラマメは葉に隠れて屹立している。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
「一つかみほど苜蓿うつる水青年の胸は縦に拭くべし」
どこかからしわがれた声が聞こえたような気がした。寺山修司の歌だ。苜蓿(うまごやし)というのはシロツメクサのことで、牧場によく見られる。
満月の下、この家の主人の長い長い孤独がひっそりと息をしている。そして世界革命の夢は魚のように腹を切り裂かれ、熱き連帯は凍てついた。
たぶん、畑の禍々しくも柔らかな土の下にこの家の主人は睡るつもりなのだ、と中里倫夫は思った。
(了)
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