れいわ怪異譚❾ 【長蟲姫】


                   四百字詰原稿用紙十四枚程度

 長崎直美という人物を説明しようとすると自分の間抜けさに耐えられなくなる。

 二十代半ばにはめずらしくしっとりと落ち着いた美人で、内面の強さと賢さも兼ね備えている。すらりと伸びた手足に透き通るように白い肌、うりざね型の理知的な顔、国立大学卒の才媛で、その一方、下世話な芸能スキャンダルに精通していたりもする。人の気をそらさず、それとなく細かな気配りもできる。

 非の打ちようがない。

 自分がすぐれた書き手だとはまったく毛頭、金輪際、思っていないけれども、これでは浮世離れがひど過ぎて通俗的すぎる。しかしそういうふうにしかならないのだからまったく困る。

 この話をご本人にすれば、一昔前なら褒め殺し、いまならルッキズム、とかなんとか即座にやり込められるに違いない。ご本人としては、まあ迷惑ということだ。

 そんなようなわけで、まあ下心満々の中高年諸氏からすれば憧れのマドンナである。同世代の男にはとても手が出せない。絶対ムリな高山植物案件。群がり寄ってくる男たちをバッサバサと軽やかにさばいているさまも小気味よい。

「長崎さんの通った後には屍累々だもんなあ」

「勝手にピクピクされても困りますけどねえ」

「人生のためには知らないほうがいいってことがありますから」

「歩くなってことですか? でもその話、知って不幸になったほうがよくはないですか?」

「薬物中毒でデロデロになるのも?」

「テロデロですか。極端だなあ」

 バカ話をしながら打ち合わせ中に散らかした資料類を片付けていると、突然、長崎直美が何気ない顔をして難問を突きつけてきた。

「太田さん、蛇ってどうですか?」

 長崎直美は広告代理店のディレクターであり、僕はフリーのライターだ。だから意図的であるなしに関わらず、これは僕にとっては仕事に直結する口頭試問のようなものだ。ゆめゆめないがしろにしてはいけない。

 しかし咄嗟に妙案が浮かばないので、とりあえず時間稼ぎをした。

「ヘビメタは聴きます」

 まるで頭の悪いお笑い芸人である。

 困ったように笑いながら長い髪を掻き上げて、長崎直美は矢継ぎ早に次の手を打ってくる。

「いや、だからたとえばそうですね、食事中に蛇の話をされても平気ですか?」

 なるほど。

「平気ですよ。ナオミ・キャンベルの話とは食べ合わせが悪いでしょうけど」

 ナオミ・キャンベルは、いまはどうかよくわからないけれども、八十年代から活躍しているスーパーモデルで、ダイエットのため腸にサナダムシを飼っているという話でも有名になった。そのサナダムシは成長すると体長十メートルを超える紐状の寄生虫だ。

「そういえば群馬にジャパンスネークセンターというところがあって、そこではヘビ料理が食べられるそうです。蛇とのふれあい体験もあります」

 まだ自分自身プロとして納得がいかないので付け足した。なんのプロだかわからないけれども。

〈蛇とのふれあい体験〉でクスッときてしまうのが、波長の合うところだ。

 長崎直美が誰彼なくヘビとの親和性について質問しているとすれば、たぶんスノッブな連中は、ここぞとばかり歌舞伎で有名な安珍清姫、さもなければやれ知恵の象徴ヘルメスとかウロボロスのヘビだとかの話を持ち出して気を引こうとするに違いない。しかしそれは凡人である。

「ふれあっても変温動物ですから温かくはないはずですけど」

 長崎直美はこれが微苦笑だという見本のような表情を見せた。そう、男はどこかで母親を求めるものなのだ。

「長谷川さんにも聞いたら、ビートたけしの相方だったビートきよしが昔、兼子ヘビジって呼ばれていたのを知っているか、っていっていました」

 長谷川さんは長崎直美の直属の上司で、鈍感な男である。あるときゲラ刷りになった僕の原稿の中に「女性性」という言葉を見つけて、チェック漏れだ!! とたいへんな剣幕で騒ぎ立てたのを見て、こいつはホンモノのバカではないかと不安になったことがある。

 しかし考えてみれば〈兼子ヘビジ〉とは恐るべし。爆笑したものの、後になって、もしかして長谷川氏、案外僕なんかよりずっとうわてなのかもしれない、と案じた。

 それから約二週間ほど経って長崎直美から緊急の呼び出しがかかった。ある自治体が急に観光誘致用のリーフレットを作りたいといっているのだけれども、どういう方向で考えればいいのかまったくわからないので相談に乗ってほしいというのだった。

 問題はそもそもとにかく時間がないことで、企画書と見積りを二、三日中にほしいといわれたのだそうだ。

 いま取り掛かっている仕事をそのあいだ棚上げしていいかを確認して受けることにした。

 指定された駅へいってみると、なんと長崎直美はいまその足で自治体から帰ってきたところだという。打ち合わせの玉突き事故である。

 長崎直美はわずかに見ないあいだに少しふくよかになった気がした。ワンピースの腰回りが立体的だ。

「ご承知だと思いますけど、いまはただでさえ猫の手も借りたいほど忙しいんです。ですからわたしこれはちょっとキツいんです。なのに先方は内容についてなにも考えてくれていなくて、相談もなく、それで会社に電話したら長谷川さんは任せるから、のひとことで、それで困ってしまって、……」

 長崎直美は大げさでなく半べそをかいたような声でいった。彼女が入社して以来の付き合いだから約二年になるけれども、こんな長崎直美を見るのははじめてだった。徹夜続きだといっていたから無理もないかもしれない。

「あとは任せるといわれても、……ですよねえ」

 相槌を打ったものの、彼女の精神安定上、ざっくり話だけ聞いて、あとはとりあえずそれぞれが持って帰るというふうにするわけにもいかなそうだった。

「まあ、ちょうどいい時間ですから夕飯でも食べながら二人で一緒に考えましょうよ。まだでしょ」

 いってみれば僕はこういういい加減さだけで早もう約十年間、数々の土壇場をくぐり抜けてきたのだ。ただ見方を変えれば、これがフリーランスの強みであると同時に求められる生贄としての役割である場合もある。

「まかり間違ってもこれで誰かが死ぬってわけではないんですから。どう転んだって建設作業なんかに比べれば気楽なものです」

 駅ビルのレストランに腰を下ろし、それぞれのオーダーをすませてから冗談っぽく慰めた。

「すみません。思わず取り乱してしまって」

「あ、いいですね。思わず取り乱す、って。ちょっと酸味が効いた感じがして」

 我ながら口の減らない男である。
 長崎直美の食欲は旺盛だった。海産物のフライの盛り合わせとサラダ、アイスクリームを平らげてまだどこか物足りない顔をしている。

 こういうイメージ上の小さな矛盾がまた長崎直美の魅力である。

「僕、いま考えていたんですけど、これ、この仕事、真面目にやればやるほどたぶんバカを見ますよ」

 長崎直美は正面からこちらを見つめている。食事のせいだろうか、色白な顔に赤みがさしている。

「先方、町のほうからの要望はとくにないんでしょ? うん。そうならこちらのやりたいようにやればいいんです。新型コロナ明けだからだのなんだの正解を追いかけてもムダ」

 長崎直美が白く長い指で前髪を軽く掻き分けた。

「自治体に限らず行政関係ではよくあります。これはただ予算を消化するためだけの仕事です。長崎さんはこれまでそういう対応は営業担当の方が受けていたので今回がはじめてなのでしょうけど」

「……税金の無駄遣いですか」

「つかいきった実績を作っておかないと次年度の予算を減らされたりするので」

「こういうのやりたくないですよね」

「僕は金さえ貰えればなんでもやります。お先棒担ぎは天職みたいなものです」

 いったん引き締めた口元を緩めて長崎直美は笑った。

「いままで気になっていたんですけれど、どうして長崎さんは広告の方へ?」

 この機会に以前から気なっていたことを聞いてみたいと思った。広告の世界は世の中をどこかで見限らないとやっていけないと思うからだ。それには長崎直美は真面目すぎる。

「本当は就職するつもりはなかったんです。卒業したらすぐ結婚する予定でしたので」

 あらら、と声に出して

「人生いろいろですからねえ」

あれやこれやを誤魔化そうとした。

「いいえ、わたしのわがままなんです。……蛙化現象って知ってますか?」

「好きな人に好きになられたら急にゲンナリ気持ちが悪くなってしまうってやつでしょ。生理的に受け付けなくなってしまう、ということですよね」

 わからないでもないと思った。

「それじゃないかと思うんですよね。それでやめました」

「いつですか?」

「卒業前年の夏です。二人でキャンプにいったときからおかしくなって」

「あらら」

 婚約を破棄するというのもたいへんな労力がいる話だろうけれども、長崎直美なら割と簡単にやりきるだろうなと思った。いざとなったら次の相手には困らないわけだし。

「そのときはもう就職の時期は終わっていたので、知り合いの教授に頼んでいまの会社に押し込んでもらったんです」

「彼氏、がっくりきたでしょうね」

「思わず取り乱していました」

 少し考えてから長崎直美は笑った。

「まあ、世の中、女も男も星の数です。住めば都っていいかたおかしいですけど、そんなもので、与えられた中で、得られた中で、きっといい人を見つけていますよ」

 締めくくりは明るくしたい。

「わたしにはそういうチャンスはもうないですけど」

 長崎直美は至極なにげないようないいかたをした。もちろん意識的だったろう。

「なにをおっしいますやら長崎さん、あまり謙虚なのも嫌がられますよ」

「いえ、実はわたし蛇を飼っているので、……」

 長崎直美と蛇。

「え、どんな蛇ですか?」

 意外な組み合わせだった。そういえばこのあいだ打ち合わせの後片付けをしながら出てきた蛇の話とどこかで繋がっているのだろう。

「たぶんヤマカガシだと思います。よく見なかったのではっきりとしないんですけど」

「毒のあるやつだ……。よく見なかったって、そのヤマカガシ、いまどこで飼っているんですか?」

「わたし、わたしの体の中です」

 長崎直美はさっくりした調子でいって水を一口飲んだ。続いて口がゆっくり大きく開いて、直径五センチはあろうかという茶黒い蛇の頭が喉の奥から顔を出した。

 食事中に蛇の話どころの騒ぎではない。

 長崎直美の両眼がフェイク画像のレプティリアンそっくりに不気味に輝く。

 蛇は素早く左右を見回して引っ込んだ。僕はといえば、ただただあっけにとられた気分で長崎直美の顔をまじまじと見つめてしまう。

 東京コミックショウを真似て「ブラウンスネーク・カモン!!」といってやればよかった。

「二年半前のキャンプのときに入ったと思うんです。夜、テントで眠っているあいだに」

 長崎直美のいつも通りの平穏な口調を聞いていると、自分でもよくわからない、ひどく激しい怒りの感情が噴き上がった。蛙化現象というのは蛙みたいに見えるだけではなくて蛙のように丸呑みしたくなるということなのか?

「ヘビがよくわからないときに入ったって、それ口からですかケツからですか?」

「お尻です」

 クーッ、と声にならない声が出た。もう一度長崎直美を見ると、いつもの落ち着いた表示でこちらを見ている。

「あなた、それすぐに取り出してもらいなさいよ。なにをいっているの」

 自分でもおかしなものいいだな、と感じた。

「……、さっさと手術して」

 長崎直美はやさしく微笑んだ。

「もうすぐ子供たちが生まれそうなんです」

 いくらなんでも声にならなかった。

「孵化するのがもう間近です」

 長崎直美は椅子の背もたれに体を預けて脚を組んだ。こちらの気分を察しているのだ。

「いつ受精したのか不思議なのですけれど、きっと天の思し召しなのでしょう」

「そのヤマカガシは何個くらい卵を産んだのですか?」

「見たことがないのでわかりません。でもネットで見ると一度に二個から三十個、平均すると十個なんて書いてあります。わたしの感覚だとやっぱり平均的なところではないかと思います」

「やっぱりレントゲンなんかは受けられないですか。……、母子手帳をもらうわけにもいかないし……」

 我ながら取り乱しはじめていることがいよいよはっきりしてきた。

 テーブルから顔を上げて再び長崎直美を見ると顔つきが豹変している。目が大きくなり突き出て険しくなっている。呼吸が荒い。

「孵化しはじめてえ……」

 両手でワンピースの腹を抑えたその指のあいだで、小さな瘤がうねっている。

「あああ、孵化しています」

 固くすぼめた唇のあいだからシーッという息が聞こえてくる。

「病院だ。救急車を呼びましょう」

 しかし長崎直美は僕の言葉には耳を貸さず急いで立ち上がるとスカートの裾を翻してトイレに駆け込んでいった。トイレはいったん店を出たビルの中にある

 一人になってこれはいったい何事なのだろうと考えても混乱するばかりで、僕はただこの出来事の一部始終をメモにして残すことができただけだった。

 目の前のテーブルには、長崎直美が使ったグラスが置いてある。あとは片付けられてしまった。

 そしてそれ以来、長崎直美の姿を見ることはない。勤務していた広告代理店にも、実家にも姿を現していない。行方不明の届け出も行われて、僕は何度も警察署まで足を運んだ。

 時間が経って考えると、あれはただの便秘の話なのだというのがもっともしっくりするオチに思える。そういう、誰かが仕掛けたイタズラならいい。

 しかし長崎直美はほんとうにどこかに消えてしまったままだ。どこにいってしまったのだろう。



                              (了)



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