ショートショート 1分間の国 ◎【私、女子プロレスの味方です】
やれ70だ75だって、おまえも年をとってみろ、びっくりするぞ。あながち冗談だけではない顔付きでいうと、関根孝一は照れを隠すつもりかケケケと甲高く笑う。
誰でも年はとるし年はだんだんに取っていくものだから、いまさら改めてとってつけたようにびっくりするのはおかしいのだが、関根孝一はつい最近、これまで生きてきた年数とたぶんこれからまだ生きる年数を並べて愕然としたばかりだ。
そのときこう考えた。とすると、あと生きられるのはこれまでの約3分の1くらいだ。なにができるだろう、なにができるだろうって、これまでなにもできなかったのだから、これからもなにもできないだろう。
まあそうなんだけどさ、そうなんだよ。
辻褄の合わぬ、そして元も子もない自問自答をする関根孝一の前には4メートル弱のウォールナットのカウンターがあり、その向こうは格子の入ったフランス窓になっている。定年退職したあと突然妻が他界し、急になにもすることがなくなったのでバーでもやってみようかと自宅の一部を改築したのだった。
しかしいざ開店してみると臆病なのと億劫なのとで客がこないことを祈る日々が続き、結局これまでの4年間、誰も迎え入れたことはない。
パソコンを開く。フリルだとかリボンだとかボンボンだとか、目の覚めるように色とりどりに飾った半裸のコスチュームと、同じように派手な髪色の娘たちが激しく飛んだり跳ねたり逆立ちしたりしている。
まるで線香花火のようだと関根孝一は感嘆し、さらにコスチュームのあいだに見える綺麗な白い肌に目を奪われる。
20歳を過ぎたばかりだもんなあ、こっちは男だけど正直羨ましいぞ。
しかし羨ましいがエロい目で見てはいない、まあ誰も信じてくれないだろうけれどもな、まるで子ども同士の仲のよい小突き合いを眺めているような気分さ。実に微笑ましい。リングの上には平和と幸せが溢れている。
ここで関根孝一はいつもの難問に直面する。関根孝一によればこの天真爛漫さを守っているのは、コスチュームの股間の堅牢さだ。見ろよまるで鉄腕アトムの股じゃないか。昔の、あの競泳水着そのままのペラペラなコスチュームでは絶対にここまで無邪気に縦横無尽に暴れまわるとはいかないだろう。なあ、そうは思わないか。指摘するのが憚られるのが悔しいけれどもな。
だからエロい目では見ていないって。私は女子レスラーの微妙な心理について語っている。こんな小娘の股間を眺めてどうすんだよ。だいたい私みたいな老人に世間がアテンドするのは熟女と決まっている。
いまの女子プロレスはすべてにおいて微妙なところにいるというのが暇な関根孝一の持論だ。
歴史をたどれば黎明期のキャバレーまわりのお色気ショーからはじまり、ひたすら男子プロレス張りの激しさを追った時代が続いて、それからただただ感情的に過熱する団体抗争の時代があり、それから、それから、そう、あれだ。いったんほぼポシャったカタチになって、それから芸能界からアイドルが入ってきてなんとか話題性を保ちつつ徐々に人気を回復して、またブームの一歩手前まできている、ということだな。
だから黎明期のキャバレーまわりと感情的な抗争はさておき、アイドルと男子プロレス張りの激しさのそれぞれの時代の遺産を受け継いでいまの女子プロレスはできている。だろ。そしていまのレスラーはアイドル参入以降の煌びやかさを見て育っている。
やってることはハードよ。いまでも一線級が5人も怪我で休んでいる。加えて出場はしていてもほとんど全員が首から肩や背中にかけてバンデージを張っている。危ないと思うぞ。でもこの娘たちはやるのだ。そして見ろよ、客に媚びているわけでもない。やりたくてやってる、好きでやってるって伝わるだろ。おまえにも。
そうはいっても、ほらほら、踏んづけるふりをしても軽く足でタッチするだけだし、ラリアットはわざと頭上30センチくらいをすり抜けて飛んでいくし、怪しくないか。八百じゃないか。
だーから、互いにそこの加減を読みながらやっているということだ。そこがまた凄いだろ。やってやられて体力を削っていく。リングの上はやさしさに満ちている。
あれだ、忘れていけないのはプロだっちゅうことだな。怪我をしてリングに上がれなくなったらすぐ生活に困る。だから怪我をしないさせないはプロとしての大前提だ。……、それにしても最近、怪我人が多いのが気になるが、それは運営が大事をとって早めに休ませているのだと思いたい。
おお、おいっ、聞いたかいまの。痛いじゃないのよおっていったよな。いまやり返しながら。ついに出たか女言葉。よし、これから女子プロレスはもう一段変わっていくぞ。どう変わるかはわからないけどな。そうかそうか。えがったえがった。
ま、こんな話は相当にどうでもいいことかもしれないけど。楽しみだ。
そうこうするうち試合が終了して、パソコンの画面にはリングに大の字に仰臥する2人の選手が映っている。
そして関根孝一の顔から急に表情が消え、正面の窓を向いた。そのまましばらく静止して、天井を見上げ、それからゆっくりゆっくりと椅子から崩折れていった。
曙町2番通りの最後の住人が去った日の出来事だった。
(了)
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