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ECMO⑳|決戦は木曜日
一夜明け、9月11日。
この日も午後から面会で、夕方に車を走らせ病院へ向かう。
ICUへ到着し、担当看護師が出迎えてくれたが、この日はまず “説明室” へと案内された。
また、この日の担当もあの男性看護師であったが、外科医が来るまでの間、私たちの体調を気遣いながら場を温める。
毎度このコミュニケーションのおかげで、私たちも聞く体勢というか、心の準備ができたように思う。
そして数分後、これまでメインで説明して来てくれている外科医が入ってきた。
「ECMOの離脱ですが、 『明日』しようかと思っています」
と開口一番、私たちにそう告げる。
元々ECMO装着から約1週間前後(「木曜」か「金曜」)の予定であったが、それを「木曜」に決めたということである。
(「木曜」か… )
と、私は一瞬思考が止まった。
というのも、前回離脱できなかった際、 “離脱が早いんじゃないか” と感じていたこともあり、今回の離脱の決定が、“2択の早い方” になったことで、あの感覚が「フラッシュバック」したのである。
心情としてはどうしても、 “長く休ませたい…” と思ってしまい、2択であるなら遅い方… という具合に自然とそちらを選びたくなっていた。
(だが、この後の説明と、実際に息子と対面することで、この考えは払拭されることとなる…)
そんな中、現在の息子の状況も説明してくれた。
昨日、ECMOの管を交換しているが、交換後の経過も順調で、特に血栓が出来たりはしていないとのこと。
また、肺に関しても、あらゆる手を打っており、新たに “肺の呼吸器のサイズを大きくした” ところ、肺自体の広がりが良くなってきているようだった。
その他も、肺自体の洗浄、投与薬の調節など、現代の医学で考えうる限り全ての手を尽くしてもらっていた。
しかしながら、ECMO自体の装着が長期化してきている影響で、「出血量の増加」「感染症」が以前にも増して進行してきており、 “金曜まで待つのはリスクが大きい” と判断したということだった。
心肺の回復をしながらも、身体自体は蝕まれ続けている息子。
感染症の数値なども、いよいよ危険水域に迫ってきているようで、本当に “最終局面” であることを思い知らされる。
また、
「今回の離脱が最後のチャンスとなり、 “もう一度ECMOに乗せることは不可能”」
ということも、改めて告げられた。
“最後のチャンス” だということは、当然私たちも理解している。
最悪の事態は考えたくない。
改めて言葉で伝えられると、僅かに揺らぎそうになるが、ゆっくりと全てを受け入れるかのように深呼吸をし、外科医の宣告に静かに頷く。
そして説明の最後に、
「明日、“ご家族” を呼ぶことはできますか?」
と私たちに尋ねる。
これが何を意味するか、一瞬で悟ってしまった私であった…