
ECMO㉜|奇跡
ドアの音がし、外科医が入ってきた。
そして、椅子に座るより前に口を開き…
「離脱できました」
と一言だけ発して、椅子へ座る…
離脱は “成功” したのだった。
「良かったぁ…」
極限状態であった緊張が解け、妻も私もこれまで背負っていたあらゆるものから解放された瞬間であった。
(やったんだ…)
(本当に凄げぇな…)
と感慨深くなり、本当に息子が神々しく思えた。
私たち両親、家族、医療チーム、友人、先祖…
あらゆる最善が実り、何より息子が本当に “生きる意志” を見せてくれた。
外科医も
「凰理くんは、本当によく頑張りました…」
と言い、医療チームの “厳しい状況” という見解を覆す、まさに「奇跡」であった。
そして、改めて外科医より離脱処置の全容を聞く。
・数値的にも良好な状態で離脱を開始
・離脱後から自発的な生命活動ができており、しばらくは安定していた
・しかし、30分を超えたところで急激に血圧が低下
・蘇生処置に加え、今回はこれまで試みなかった “新たな処置(薬の投与)” を実行
・投与後から血圧が回復
・そこから容態も安定し現在に至る
という流れであった。
「ECMO離脱」という最大の山を乗り越えられたことは、非常に大きな一歩であり、これは本当に「奇跡」としか言いようがない。
そして、“ 新たな処置(薬の投与)” が、息子の離脱成功に大きく左右したとのことであり、極限状態でありながらも最善を尽くし、この最適解を導き出した医療チームには、本当に感謝してもしきれない。
(※この件はまた、後日談で書きます)
だが、現時点では安定しているものの、まだ血圧低下のリスクは完全に排除しきれたわけではなく、予断を許さない状況ではあるとのことだった。
まだまだ多くの懸念点、超えるべき山が残されているようで、この後も夜通し経過を見ていく必要があり、
“このまま安定した状態で夜を超え、明日を迎えること…”
これが目先の目標になってくる。
そして、身体の回復もそうだが、この先は「感染症」との闘いとなるようだった。
ECMOの功罪であり、心肺を休ませることは出来たが、その反面、肉体は相当なダメージを受けており、全身の浮腫みも激しく、NICUにいた時の面影は皆無であり、両足の先端は “壊死したように真っ黒” である。
だがそれも、基本はECMO装着よるもの。
今回離脱が出来たことで、さらなる進行は限りなく0に近くなった。
ただ、1度離脱に失敗し、予定外の長期装着になったため、そもそもの肉体の損傷及び、感染症の進行もすでに危険な水準に達している。
そんな中でこの先、安定した容態を保ちながら、菌を体外に排出し、身体機能の回復をしていかなければならないという状況であり、依然として安心できる状態ではないということだった。
だが、生死を分ける “最大の山” を乗り越えたことは事実。
私たちも “極限状態” から解放され、一時は喜びを爆発させそうになった。
しかし、私は妻に言う。
「ここだ。ここで締め直そう」
「俺たちが地に足つけて、ちゃんと帰還できるまで、まだ気をしっかり持とう」
“勝って兜の緒を締めよ” ではないが、今この瞬間から再び気を引き締め直す必要があると感じた。
息子はすでに次なる闘いに臨んでいる。
親として共に闘うべく、再び夫婦で気を引き締め直した。