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旅立ち⑥|父親という存在


区役所を後にし、次にやるべきことは「棺の購入」

予約した公営斎場では、棺を自分で用意する必要があり、また “新生児の火葬” ということで、素材も「段ボール」と指定があった。


今の時代、Amazonなどのネットショップで、新生児用の棺は買えるものの、息子の火葬は明日の午前のため、物理的に間に合わない。

また、近隣に葬儀屋や仏具屋もなく、今日中にできることは、

段ボールを買ってDIYする
“ペット用の棺” を買う

のどちらかだろうということで、ひとまず近隣の「ショッピングモール」に向かうことにした。


そして、死亡届の提出という “ひとつの山場” を超えたからか、以降は父とも多くの言葉を交わすようになった。


父から見た息子、すなわち「孫」は、私の “生き写し” のように見えていたらしい。

父が「孫」と対面出来たのは僅かに “3回”
ましてや目覚めている瞬間も見たことはないが、感覚的にそうだったと。

また、「死」に対しての捉え方として、“最期は自らが選んで旅立った” という感覚は同じであったが、「死」を選ぶまでの経緯は、私や妻とはまた違った見解を持っているようだった。

ただ、これは良し悪しではなく、正解もない。


しかしながら、父にとってもこの23日間は、生涯で経験したことのないような日々であり、息子が最期に見せた「奇跡」には、“心” だけでなく、“魂” も動かされたようだった。


あれだけの人を巻き込み、 “家族をひとつ” にしたこと。

人の「愛」、「想い」は、“人智を超えたエネルギー” を生むということ。

そして、そのエネルギーは、「奇跡」をも起こすということ…


心打たれ、“感動した” と。

そして、奇跡を起こした息子と、全てを捧げ最期まで信じ続けた、親である私たちが本当に立派だと。

父はそう言った。

私も涙を浮かべ、改めて息子に想いを馳せた道中であった。


そんな中、ショッピングモールに到着。

まずはホームセンターへ行き、棺になりそうな段ボールを探していくが、中々ピンとくるものがない…

妻にも共有しながら話していくが、DIYをするにしても、これで息子を送り出す気にはなれなかった。


そうなると、残す候補は “ペット用の棺”

そもそも店舗にあるのかという疑問もあったが、ひとまずモール内のペットショップへ向かう。


しかしながら、いざ行ってみると、そこの店舗には “供養コーナー” あり、棺の種類もいくつかあった。

“ペット用” ということが、正直気にならないわけではないが、やはり “火葬目的” で作られているだけあって、機能性やデザインも良い。

また幸運にも、息子の身長でも入るサイズの棺もあり、最終的に父と妻とも相談した上で、ここで棺を購入することにした。


そして、外回りでのやるべきことは終了。

時刻も13時を過ぎ、モール内で父と昼食を取ることに。
改めて、食事をとりながら父と言葉を交わす…


この日は本当に、父とあらゆることを話した。

「我が子の死」という、私史上最悪の絶望… だが、それでも私の人生は続く。

そんな私に、父は励ましや慰めだけでなく、「死」「魂」「使命」「真理」… そして「人生」といった、あらゆる観点から話をしてくれた。


しかし、その話の全てが私を救うとは限らない。

父の言葉に、私の心が抉られる瞬間もあった…


だがそれが、父の「愛」なのもわかっている。

そして、私にはそれが必要だった。


息子が生まれ「父親」になった私だが、この時は「息子」として、父との時間を過ごしたかったのだ。


しかしながら、辛いのは父も家族も皆同じ。

そんな状況下でも、「父親」として私を支えてくれたことは、本当に感謝しかない。



つづく



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