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妊娠③|2回目の転院
「申し訳ないですが、うちでは出産出来ません」
まさかの受け入れ不可…
そこの総合病院は、帝王切開の対応は可能だが、「ハイリスク分娩」は例外はあるものの基本的には対応不可とのことだった。
妻の場合、前置胎盤の中でも重度の「全前置胎盤」。
28週以降の出血リスクが非常に高く、母体の容態次第では最初の出血の時点で出産となる。
そのため、37週未満での「早産」の可能性も非常に高く、その場合胎児は[NICU]に入らなければならないが、この総合病院にはなく、母子の安全を考慮すると、大学病院へいますぐ転院した方がいいとのことだった。
■NICU(Neonatal Intensive Care Unit)
新生児集中治療室のことです。 早く生まれた赤ちゃん、小さく生まれた赤ちゃん、呼吸の助けが必要な赤ちゃん、心臓などに病気がある赤ちゃんたちが治療を受けたり、元気に大きく育つための部屋です。
レディースクリニックから総合病院への転院初日にして、またもや転院…
この総合病院は、妻が入念なリサーチをして選んだところで、凄く楽しみにしていたため、妻も少しばかり落ち込んでいた。
しかしながら、母子の安全が最優先。
「懸念点を引きずりながら過ごすより、先手を打って行動する方がいい…」
とポジティブに気持ちを切り替えて受け入れる。
ただ、
「胎児の成長と共に胎盤が上に動いて、前置胎盤が解消する」
という僅かな希望もあり、夫婦としてはそこを目指してやってやろう!というモチベーションもあった。
医師からも、
「可能性は0ではないので、胎盤が上に動き前置胎盤が解消されたら、うちに戻ってきて出産しましょう」
とも言ってくれたので、ひとまず転院はするものの、希望は捨てず戻ってこられるように頑張ろうと夫婦で誓い合った。
「あとお母さん、 “絶対安静” です!」
「これがNGなどは特にないですが、何が出血の引き金になるかわかりませんので、可能な限り横になっているのがベストです」
とも言われ、週2回は通勤があった妻も完全在宅へ。
また、上司・同僚の配慮もあり、横になれる時間が大幅に増えた。
(妻の勤務先が本当に理解ある職場でよかった)
最後に、ハイリスク分娩に対応可能な大学病院へ紹介状を書いてもらい、その日は帰宅した。
そしてその1週間後、となりの区にある大学病院へと伺った。
なんとなく「大学病院 = 古い」という先入観があったが、そこは比較的キレイなところだった。
また、特に指名をしていたわけではないが、初診の対応の産科の医師は “女性” の方だった。
ただでさえ、妊娠中は不安定になりやすい。
そういう中で、ここ数週間イレギュラーが続いていたことで、不安が多くなっていた妻にとっても、“女性の医師”というのは安心できるポイントだった。
そして、診察がスタート。
紹介状を元に、全前置胎盤の経過を見てもらう。
(下からのエコーの際は、夫の私は外で待機になるが、声は聞こえる状況だった)
「ん~、しっかり覆ってますね~」
「これは動く可能性は低いですね…」
とやはり胎盤は上に動かないだろうという見解だった。
レディースクリニック、総合病院、そしてこの大学病院と、3人の医師にそう言われると、もうそういう「型」なんだなと納得せざるを得なかった。
「じゃあ最後に、赤ちゃんの状態も確認しますね」
とお腹からのエコーを開始。
(この時は自分も同室で一緒に確認していた)
各部位を次々とチェックしていき、順調に進んでいると思っていたが、ある部位でサクサク動いていた医師の手が止まる…
「心臓」だった。
そして、それまでの流れと打って変わって、凄く慎重に時間をかけ、何枚もの写真を撮り、確認を繰り返している。
時間にして、20分ほどだっただろうか。
無言の時間がずっと続き、不安な表情の妻と2人で顔を合わせて、首を傾げながら待ち続ける。
何とも言えない緊張感というか、不穏な空気に包まれており、
(心臓…?これまで何ともなかったけど、何か異常あるのか…?)
(何もなく終わってくれ…!)
と私も心の中で祈るばかりだった。
そしてエコーが終わり、医師から衝撃の事実を告げられる。