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ECMO⑱|闘いに終止符を


通話を終え、次の電車に乗って私も帰宅した。
時刻は13時を過ぎ、ちょうど息子の処置が始まった頃であった。


多少の緊張感はありながらも、

(何かあれば電話が来るだろう…)

と、あまり一喜一憂せずに、15時30分からの面会に向けて準備を進める。


そして、出発の時間となり病院へ。

いつものルーティーンを経てICUへ行き、この日はすぐに息子の元へ案内された。


管の交換は、特に問題もなく無事完了したようだった。


「凰理、お父さんとお母さん来たよ^^」
「ECMOの管の交換、よく頑張ったね!」
「先生たちに感謝だね」

安堵した私たちは、いつも以上に声かけも弾む。


そんな中すぐに、医療チームが状況を説明をしてくれた。

処置自体は数分ほどで、懸念されたリスクも起こらず完了し、交換後も問題なくECMOも稼働できているとのこと。

また、「心臓」は非常に調子が良く、前回の離脱前と同じように、徐々にサポートの比重を下げられるようになってきているようだが、息子の一番問題は「肺」であり、そこに関しては引き続き回復を待つ必要があるとのことだった。


そして、この日は入院書類(入院診療計画書)などを更新もあり、最新の状態を書面で改めて確認したが、そこには

「病名:完全大血管転位症ⅱ型」

と記載されていた。

ジャテーン手術中の “想定外” の一つで「心室中隔欠損症」があったと、手術後に説明されていたが、その時点ではあくまで口頭の報告であり、今回の書類で正式診断が下った形となる。

ただこの時は、外科医が不在だったため、面会後に電話を貰い、改めて詳しく説明してもらう形となるのだが、先述の通り、ごく僅かな欠損であり、対応としては「ⅰ型」と同じで問題なく、さらに今回のECMOの再離脱に向けても、特に影響はないということであった。



しかしながら改めて、 “激動の日々” から、

全前置胎盤、完全大血管転位症、先天性内反足、心室中隔欠損症、肺高血圧・大量出血でECMO装着、そして離脱失敗…

と、総じて「想定外」が多いなと考えさせられる。


そして、息子はその都度 “想定外” と向き合い、変わり果てた姿になりながらも、今も目の前で闘っている…

生まれてから… いや、“生まれる前からずっと” 闘い続けている。


そういう背景もあり、数日後に迫る「ECMO再離脱」を何としても成功させ、 “闘いに終止符を打ちたい” と私も親として強く思っていた。


もちろん、離脱が出来たとしても、感染症や合併症、そして新生児の身体である以上、術後の回復の問題もある。

そもそも、完全大血管転位症は “指定難病” 、先天性内反足も “幼少期は通院が必須” といった、細かな懸念点というのも、この先しばらくは消えない。


だが、 “生死を分ける闘い” という意味では、この「ECMOの再離脱」が最後。


そして、息子の身体的に、再度ECMOの装着は出来ない。
つまり、次の離脱が成功できなければ、その先は…


「死」しかない。


故に、正真正銘、「息子の生死が懸かった最後の山場」であり、全てをここに懸ける想いだった。


そんなことを考えながら、息子を頭を撫でる私。


「ゆっくり全身に気を巡らせるんだ」
「凰理は守られているから安心してな」
「みんなで乗り越えるぞ」

もうどれだけの言葉をかけたかもわからないが、その時感じたことを素直に伝えて続けていた。


だが、一昨日の夜から私の炎が灯されたのと同じように、息子も “地に足がついている” ような印象を受けた。


「生命力」「意志力」か。

その正体はわからずとも、私には息子が頼もしく見えていた。


つづく


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