東京2日目②
東京大神宮にて参拝を終え、「さて次はどこへ行こうかな?」と思いながら歩き出すと、
『←靖國神社』
の看板が視界に入りました。
これはもう行くっきゃない💪
ということでテクテク歩いて行くと、体全体を低周波マッサージしてもらっているかのような心地良いピリピリ感が始まり、
靖國神社の第一鳥居前に辿り着きました。
前日の大雨が嘘のような晴れですね☀️
なお、わたしにとって今回が初めての靖國神社参拝です。
わたしは関東に住んでいたこともあるのに、なぜか今まで一度も来ようとしませんでした。
なんでだろう…。
鳥居をくぐって拝殿へと進んでいけばいくほど、心地良いピリピリ感は強くなっていきました。
靖國神社にお参りすると皆さんこうなるものなのでしょうか?
不思議な感覚…。
ここは国内外を問わない大勢の人たちの複雑な感情が集まっているところだと思います。
わたしの親族の中にも、先の大戦で命を落としたり、治らない傷を負って一生苦しんだ方たちがいたので、わたしの胸もざわつきましたが…。
境内はとても神聖な空気で凛としていました。
空の青さに、しばし見惚れました。
なんて綺麗…。
参拝を終え、朱印所へ向かい、書き置きの御朱印を拝受しました。
写真真ん中は「正月限定 刺繍入り朱印」。
キラキラと光り輝く細かな刺繍が素敵です。
右は「大東亜戦争終戦80年記念朱印」。
切り絵で描かれているのは戦艦大和と雪です。
儚いながらも迫力がありますね。
さて、わたしは遊就館へとやって来ました。
この像の前に立った時、かつて若き日に特攻隊で飛び立つ寸前で終戦を迎えたわたしの親族のことを思い出しました。
その方はかなりご高齢になってからも特攻基地跡を訪れ、わたしにも色んな話を聞かせてくれたのですが、随分前に他界されました。
今思えばもっと当時の話を聞いておけば良かったな…。
さて、緊張しつつ、遊就館の中に入ってみました。
なお、エントランスや大展示室は写真撮影OKでした。
まず出迎えてくれたのは、蒸気機関車C56形31号機。
かつては日本で製造され、日本国内を走っていたものの、大東亜戦争で徴用され、タイで働いた末に靖國神社へと奉納されたそう。
思わず「お帰りなさい…」と声をかけてしまいました。
さて、次に目を引くのは、三菱零式艦上戦闘機五十二型。
略して「零戦」。
若い男性客たちが「かっこいい!」と言って見入っていましたが、そういう様子を見たわたしはなんとも言えない気分になりました。
確かに戦闘機そのものはかっこいいですよね。
でも、人の価値観はそれぞれだから、他人が何かを考えるかは勝手だけれど、わたしはその「かっこいい!」にどうしても引っかかってしまいました。
わたしはすごくモヤモヤした気持ちを抱えたまま、展示室に向かいました。
そして息を飲みました。
どんなに高い地位にいた方々の高価そうな装飾品や華々しい戦績よりも、何よりもわたしの心を抉ったのは、英霊の方々の直筆の手紙。
撮影禁止のエリアなので、わたしは持参したメモ帳にたくさんメモを記しました。
なお、先の大戦で命を落とされた方々は、英霊となられているため、名前のあとに「命(みこと)」という尊称がつきます。
たとえば、立山英夫命が戦死した時、血まみれの軍服の内ポケットには母の写真が入っており、その裏には母を想う長歌が書かれていたそうです。
その長歌の最後には、
という言葉が繰り返されています。
何度も何度も何度も。
書き尽くせないくらいに…。
まだ若くて、きっとごく普通の優しい青年だったのでしょう。
戦争さえなければ、きっとお母さんとずっと仲良く暮らせただろうに…。
故郷から遠く離れた地で命を落とすことになった、彼の手書きの「お母さん」の文字。
それを見ると、わたしのさっきまでのモヤモヤした気分が綺麗さっぱり消えました。
お母さんに会いたかっただろうな。
死ぬのが怖かっただろうな。
痛かっただろうな…。
やっぱり、戦争なんて無い方がいいですね。
戦闘機そのものがかっこよかったとしても、戦争はかっこよくない。
それだけは間違いない。
他の英霊の方々だけでなく、遺族の方々の直筆の手紙を見ても、そうはっきりと思いました。
たとえば、佐藤武一命の母ナミさんの手紙もその一つ。
ナミさんは、まだ23歳の我が子が戦死したという報を受けました。
けれど、遺骨すら還ってこなかったことから、「どこかで生きていてくれるもの」と祈り続け、我が子の帰りを数十年間待ち続けたそうです。
やがてナミさんが高齢となった時、「武一は妻も娶らずに逝ってしまった」という心残りから、花嫁人形を神前に捧げたそう。
ナミさんが佐藤命に宛てて綴った直筆の手紙と、その横に飾られた花嫁人形の美しさとが、あまりにも悲しかったです…。
…戦争って…本当に残酷極まりないですね…。
また、わたしは穴澤利夫命の遺した手紙にも心を揺さぶられました。
この方は婚約者の智恵子さんからもらったマフラーを巻いて特攻死したそうで、その手紙にはこう書かれています。
こんなに悲しい恋文があるなんて…。
わたしは穴澤命に何の救いもして差し上げられないけれど、せめて、この一に挙げられた本たちは、わたしが代わりに読もうと思います。
二に挙げられた絵について、わたしは両方実物をこの目で見たことがあるけれど、以前とは違った目で見返したいです。
一と二をやり遂げるために何年かかるか分からないけれど…。
もしも死後の世界というものがあるのなら、三が叶いますように。
たとえ魂だけの存在になろうとも、愛しい人のもとへいけますように…。
大勢の英霊の方々の遺影を一人ひとり見ていくと、わたしの身近な人に似ている方もいて…。
わたしは「この方はどんな若者だったのかな? 〇〇さんと似ているけれど、この方はどんな性格で、どんなことが好きで、どんな夢があったのかな?」等と想像を膨らませていきました。
そうすると、「英霊」という存在がぐっと近くに感じられました。
遺影。
遺書。
遺影。
遺書。
何度も繰り返し見ていくうちに、だんだん、大好きなお兄ちゃんたちや可愛い弟たちが戦死してしまったかのような気分になり、打ちのめされました…。
「悲しい」なんて一言では言い表せないです。
「胸にぽっかりと穴が空いた感じ」というのとも違います。
…何なんですかね、戦争ってものは…。
喉が渇いて渇いて、お腹が空いて空いて、無念のまま死んでいった方たちも大勢いたでしょうね…。
どの遺影からも、どの遺書からも、
「生きたい」
という叫びが聴こえてくる気がしました。
さて、大展示室は撮影可能エリアとのこと。
行ってみると…、人間魚雷「回天」の胴体部分があるではありませんか!
…見ただけで胃が痛くなりました…。
以前わたしは回天に関する本をこのnoteでご紹介したことがあります。
特攻作戦そのものが狂気ではありますが、その中でも「回天」は悪夢の特攻兵器。
こうして「回天」の胴体内部を覗いてみると、血の気が引きました…。
暗くて狭い回天の中で、手探りするように敵艦に体当たりするのは至難の業。
特攻して爆死するか、失敗して酸欠死するか、自決するかという、脱出機能なき特攻兵器…。
また、同じエリアには「震洋」や「海龍」の模型等も展示されていました。
いずれも、これを使ったとて戦況を覆せるとは到底思えない特攻兵器たちです。
こんな狂気の代物たちが二度と生み出されませんように…。
東京2日目③に続きます。