「ふるっても良い暴力」なんて、どこにも存在しません
最近、以前にも増して、友達がわたしに婚活を勧めてくれます。
「〇月〇日に〇〇で婚活イベントがあるよ! 申し込み期限は〇月〇日」
「おすすめの婚活アプリを見つけたよ。URLは〇〇」
「婚活を始めるなら1日でも早い方がいいよ! 早く花嫁姿を見せてね」
といった感じで。
100%善意なのが伝わってきますし、それらのアドバイスが本当に有り難いのですが…。
正直言って、まだそこまでわたしの気持ちが追いついていません…。
確かに、婚活をするなら、一日でも早い方が良いし、もう遅すぎるくらいなのですが…。
はっきり言ってしまうと、わたしはまだまだ男性が怖いのです。
DVな元夫と離婚してから随分経つというのに。
プライベートな知り合いであっても、仕事上の付き合いがある人であっても、やっぱり男性が怖いです。
noteをはじめとするSNSで男性とやり取りするのは平気なのですが。
目の前にいると、もう駄目。
パーソナルスペースに近づかれそうになったら、後ずさりして、間合いを取ります。
「この人も、今はニコニコしているけれど、些細なことでスイッチが入って怒鳴り始めるのではないか?」
「この人も、〝暴力をふるわれるような嫁が悪い〟と殴り始めるのではないか?」
※元夫はわたしのことを名前で呼ばず、「嫁」と呼んでいました
「この人の機嫌をとるために、わたしは自分では一滴も飲まない大量のお酒を買いにコンビニを回ったり、この人から馬鹿にされて笑われて、ピエロみたいな気分になったりするのではないか? 否定すると余計酷い目に遭わされるから、どんなに酷いことを言われてもニコニコして、更に馬鹿にされないといけないのではないか?」
と、つい想像してしまって。
身体の傷やアザはとっくの昔に癒えたのに。
心の傷は治りが遅いようです。
離婚成立した日は、とても晴れやかな気分で、「これからいい人を見つけて素敵な恋をするぞ! そして結婚をして、出来るなら子どもを産むんだ!」と心に決めたのに。
つくづく、思い知らされます。
暴力というものが持つ残虐性を。
当時、元夫や元姑は「不出来な嫁へのしつけ」「嫁が悪いから仕方がない」と笑っていたけれど。
ふるっても良い暴力なんて、世界のどこにも存在しませんね。
暴力をふるった側にとっては一瞬のことでも、暴力をふるわれた側にとっては一生の問題。
どんなに立ち直りたくても、上から気味の悪い何かが思い切り押さえつけてくるような感じがします。
いい加減、わたしも気楽にお茶をする相手くらい欲しいのですけどね…。
まだ固まっちゃいます。
男性がそばにいると。
大きな声で喋っている男性が苦手。
怒っている男性なんて、もう最悪。
クレーマーを見ると元夫を思い出します。
思い出したくなんてないのに。
金輪際すれ違うことすらしたくない人だから。
婚活は男女ともに真剣に結婚相手を探す場であり、こんな生半可な人間が参加したら迷惑だと思いますから、当分わたしは婚活出来ないと思います。
友達にも思い切ってそう言おうと思います。
わたしがようやく立ち直った時は、婚活するには完全に手遅れの年齢になっているかもしれませんけれど…。
それもまた一つの人生の形なのかも。
もしかしたら、わたしがこうなったのは、「人の心の痛みを知りなさい」という意味があることかもしれませんから、これからもなるべく背筋をしゃんとして生きていきたいです。
そして人に優しくしたいです。
…あっ、なんだか湿っぽくなっちゃいましたけど、まれに「近くにいても平気な男性」も存在するのですよ。
最近は、今の職場の歳下イケメンに会うのが楽しみなので。
別部署なので、たまに通勤途中にばったり会って挨拶する程度ですが。
パッと見では今時のイケメンなのに、リュックにマイナーなアニメキャラのグッズをぶら下げていて、そのアンバランスさがとても面白くて。
さては君、結構なアニオタだな!
何度か顔を合わせるうちに、彼のことは、近くにいても平気になりました。
アニメの力は偉大なり。
いつか「実はわたしもそのアニメ、好きなんです。推しは〇〇ですか?」って声をかけてみたいです。
別に異性としてどうにかなろうなんて思っていないし、そもそも思えないし、出来るならアニメの話が出来る友達になりたいです。