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ウォルフガング・ペーターゼン監督『アウトブレイク』
※注意
以下のレビューにはネタバレを含みます!
ウイルスは恐ろしい。
けれど、人間も恐ろしい。
ということを描いた映画。
1995年に制作された映画ですが、2023年現在観ても全く他人事と思えません。
この映画と2023年の現実とで大きく違うのは、
●この映画の中で流行拡大するのは「新型コロナウイルス」ではなく、発症するとまるでエボラ出血熱のように出血を伴って死に至るという架空のウイルス「モターバ・ウイルス」である
●この映画の中の世界では、軍がウイルスに効く血清を事前に入手していた
ということ。
既に血清があるにもかかわらず、この映画の中ではこのモターバ・ウイルスに人々が次々と感染して亡くなっていきます。
なぜか?
それは、軍が血清の存在を、そして自分たちにとってそのウイルスが未知のウイルスではないという事実を隠そうとしたからです。
それが知られてしまうと、自分たちがかつて「モターバ・ウイルス」が発生したアフリカの村をそこに居た人々ごと焼き尽くし、そのウイルスをアメリカに持ち帰り、兵器として研究していたことも明るみになるからです。
本来であれば、軍をはじめとする「上の人たち」こそがリーダーシップを発揮して、ウイルスの流行阻止のため全力を尽くすべき。
ところが、この映画の場合、そうはいきません。
あろうことか「上の人たち」は、ウイルスの流行阻止をしようとしている主人公を妨害する、という愚行に走ります。
主人公は人々の命を救うため奔走しますが、「上の人たち」はそんな主人公を逮捕しようと策を練り続けます。
そして、既に「モターバ・ウイルス」に感染または感染の疑いがある約2千6百人のアメリカ人を、ウイルスもろとも爆破しようとします…。
「ここで感染を食い止めなければ2億6千万人のアメリカ人が死ぬ」という理由を付けて。
そうして保身を図っている間にも、何の罪もないごく一般の人たちがウイルスの恐怖に怯え、身を引きちぎられるような思いをして家族にお別れを告げているというのに…。
「上の人たち」がそんなことをしている間に、ウイルスは変異を遂げています。
以前からわたしはこの映画が好きでよく観ていたのですが、今観るとよりこの映画に恐怖と教訓を感じます。
軍の言い分はいわゆる「トロッコ問題」を彷彿とさせます。
「トロッコ問題」というのは、
制御不能となったトロッコに5人の作業員が乗っており、そのままにしていると必ず5人とも死んでしまう。
しかし、その5人を助けようとして線路の分岐点を切り替えれば、1人の作業員が必ず死んでしまう。
線路の分岐点に立つ自分はどちらを選択すべきか?
というものです。
この映画にこの「トロッコ問題」を当てはめると、「5人の作業員」は「2億6千万人のアメリカ人」に、「1人の作業員」は「約2千6百人のアメリカ人」に相当します。
もし自分が線路の分岐点に居たらどんな選択をするだろうか? と想像すると、この映画に登場する「上の人たち」の判断もあながち間違いとは言えません。
しかし、間違いではありませんが、正解でもないでしょう。
片方を救って片方に犠牲を強いるのでも、選択を放棄して逃げるのでもなく、この映画の主人公のように「両方を救う」という第3の道を作り出したいものです。
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