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立正安国論⑦【お祖師さまのおしえ】vol.16

【お祖師さまのおしえ】は、私がお祖師そしさま(日蓮聖人)の御遺文ごいぶんを少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。

今回は「立正安国論りっしょうあんこくろん⑦」です。(①~⑥はこちら

参照しているのは、『昭和底本 日蓮聖人遺文』(日蓮教学研究所、改訂増補第三刷、2000年)と、『日蓮聖人全集 第一巻 宗義1』(春秋社、1992年)です。

さて、前回は、陰陽道の儀式を行って疫病退散を願ったり、苦しんでいる人民のために国主や宰相がさまざまな救済措置をとっている、ということが語られました。

今回は、質問者である旅客りょきゃく(旅人)の第1回目の質問の最後の部分です。

さっそく読んでみましょう。


しかりといえども、ただ肝胆かんたんくだくのみにして、いよいよ飢疫きえきせまる。

乞客こっかくあふ死人しにんまなこてり。

かばねしてかんとなし、しかばねならべてはしとなす。


しかりといえども、ただ肝胆かんたんくだくのみにして、いよいよ飢疫きえきせまる。

これまで、災害や飢饉、疫病によって、世の中が混乱し死人がたくさん出ている状況に対して、人々が様々な宗教・宗派の儀式を行ったり、また為政者たちも救済措置をとったりしている様子が説明されてきました。

しかし、ここで質問者である旅人は「しかりといえども」(そうではあるけれども)と言います。

肝胆かんたんくだく」(肝胆を砕く)というのは、「心を尽くして懸命に物事を行う」という意味です。

つまり、「これまで説明してきたように、人民も為政者たちもこの苦しみから救われようと心を尽くして、色々なことを行ってきたけれども、飢餓や疫病はますますひどくなるばかりだ」、と言っているのですね。

ここから、世間の悲惨な状況が語られます。

乞客こっかくあふ死人しにんまなこてり。

乞客こっかく」とは、物乞いをする人のことです。

飢饉で食べ物がなく、人にめぐんでもらおうとさまよう人であふれかえり、亡骸がそこらじゅうにうち捨てられている、という状況のようです。

かばねしてかんとなし、しかばねならべてはしとなす。

かん」というのは、高い所から周囲を見渡す「物見台ものみだい」のことです。

人の亡骸がきちんと埋葬されず、物見台のように高く積み上げられたり、川に投げ込まれてまるで橋のようになっている、ということでしょう。

人々が必死に祈り、為政者たちも色々と手を尽くしているのにこの惨状というのは、読んでいるだけでも心が痛いです。


旅人によって、かなりひどい状況が語られましたね。本当はこのあとに続く部分も一気にやろうと思ったのですが、ちょっと難しい部分なので書くことがいっぱいあって、文字数が多くなってしまったので、また次回にしようと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。

それでは、また。



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