立正安国論⑩【お祖師さまのおしえ】vol.19
【お祖師さまのおしえ】は、私がお祖師さま(日蓮聖人)の御遺文を少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。
今回は「立正安国論⑩」です。(①~⑨はこちら)
参照しているのは、『昭和底本 日蓮聖人遺文』(日蓮教学研究所、改訂増補第三刷、2000年)と、『日蓮聖人全集 第一巻 宗義1』(春秋社、1992年)です。
前回に引き続き、旅人の一回目の質問に対する主人の返答の続きを読んでいきます。
以下、「原文」「現代語訳」「注」の順に書き、最後に私の感想を書いていきます。現代語訳は私が作ったものになりますので、拙いですが、あたたかい目で見ていただければ幸いです。
倩 微管を傾け、聊か経文を披きくるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。
【現代語訳】
私は誠に狭い了見しか持ちあわせておりませんが、それでも少々経典をひらき、よくよく考えてみましたところ、世間はみなそろって正しい教えに背を向け、人々はことごとく皆、悪しき教えに帰依しているようです。
※倩・・・物事についてじっくり考えること。「熟」「熟々」とも書く。
※微管を傾け・・・「微」は細いこと、「管」は「くだ」を指す。細い管を通してものを見るように了見が狭いことを表している。自分の見解について謙遜して使う表現。「管見によれば」と同意。
※聊か・・・ほんの少しという意味。数量や程度が少ないことを表す。これも謙遜した表現である。
故に、善神は国を捨て相去り、聖人所を辞して還らず。
【現代語訳】
そのため、善神は国を捨てて遠くへ行ってしまい、正しい教えを説く聖人たちも立ち去り帰ってきません。
是を以て魔来たり、災起こり、難起こる。
【現代語訳】
善神と聖人が不在となっているところに、魔がやってきて、さまざまな災いが起こり、困難に見舞われているのです。
言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。
【現代語訳】
私はこのことを言わずにはいられません。恐れずにはいられません。
前回読んだ部分では、世間の人々は仏法を尊重し、為政者も悪政を行っているわけではないのに、世の中が一向に良くならない様子を見て、憂いを深くし、「このまま仏道修行をしていって成仏など叶うのだろうか」という疑いまで抱いてしまうほどだった、と主人は語っていました。
今回読んだ部分では、「それではなぜこのような状況になっているのか」というところを、仏典をひもといてよく考えてみた、と語り始めます。
主人いわく、世間の人々が「正しい教え」に背き、「悪しき教え」に帰依していることが原因だ、とのことです。世間の人々はたしかに仏法を信奉しているものの、それは主人の見解によれば「正しい教え」ではない、ということなんですね。
これが原因で、国を守ってくれる善神や「正しい教え」を説く聖人がいなくなってしまい、その空席に「魔」がやってきて陣取り、さまざまな災難が起こっている、ということのようです。
主人はこのことを「言わずにはいられない」「恐れずにはいられない」と言っています。この部分には、北条時頼に『立正安国論』を奏上するに至った日蓮聖人の心情が、代弁されているように感じました。
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今回の記事は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
それでは、また。