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立正安国論⑧【お祖師さまのおしえ】vol.17

【お祖師さまのおしえ】は、私がお祖師そしさま(日蓮聖人)の御遺文ごいぶんを少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。

今回は「立正安国論りっしょうあんこくろん⑧」です。(①~⑦はこちら

参照しているのは、『昭和底本 日蓮聖人遺文』(日蓮教学研究所、改訂増補第三刷、2000年)と、『日蓮聖人全集 第一巻 宗義1』(春秋社、1992年)です。

さて、前回は、人々が様々な宗教・宗派の儀式を行って祈りをささげ、為政者も心を砕いているのに、飢饉や疫病はいっこうになくならず、まさに死屍累々という状況であることが、質問者である旅客りょかく(旅人)によって語られました。

今回は、その続きの部分です。これで旅人の第1回目の質問が終わります。

なお、今回から、「原文」「現代語訳」「注」の順に書き、最後に私の感想を書くというスタイルにしてみました。現代語訳は私が作ったものになりますので、拙いですが、あたたかい目で見ていただければ幸いです。

それでは、読んでみましょう。


おもんみればれ、二離にりへきわせ、五緯ごいたまつらぬ。

そもそも考えてみれば、太陽と月は2つのへきを合わせたように重なり合い、5つの緯星はひもを通した珠のように1列に連なっています。

※「二離璧を合わせ」・・・「二離」は太陽と月のこと。「璧」は古代中国で用いられた、中央に穴のあいた円盤状の宝玉。『漢書』には「日月如合璧」とあり、日食または月食を指す。
※「五緯珠を連ぬ」・・・「五緯」は5つの惑星(木星・火星・土星・金星・水星)のこと。これら5つの惑星が1列に並ぶことを指す。惑星を「緯星いせい」と言うのに対し、恒星を「経星けいせい」と言う。

三宝さんぼういま百王ひゃくおういまきわまらざるに、

世のなかにおいて仏・法・僧の三宝はいまだにきちんと敬われ、100代で尽きると言われている天皇の系譜も、まだ途絶えてはいません。

※「三宝」・・・仏教において敬うべきもの3つを宝にたとえたもの。仏、法(経典)、僧(教団)。
※「百王」・・・数多くの帝王を指す中国の用語。日本においては、平安~鎌倉時代に、遺族の衰退と末法思想が重なって、天皇は百代で尽きるとする「百王説ひゃくおうせつ」が流行していた。


はやおとろえ、ほうなんすたれたるや。

そうであるのに、どうして世のなかはこんなにも早く衰退し、祈りをささげる人々が信じている仏法ぶっぽうも、国主がよりどころとしている王法おうぼうも、廃れてしまったのでしょうか。

※「其の法」・・・ここで言う「法」は、ここまで語られてきた内容に見られる「法」であると思われる。苦しみから救われようと祈りを捧げる人々が信じている法は「仏法」(陰陽道なども含まれていたが)であり、国主が人民を救おうとさまざまな施策を行うにあたって、よりどころとしているのは「王法」である。「王法」とは「仏法」に対して「世俗の法」を意味する。


いかなるわざわいり、いかなるあやまりにるや。

一体これはどのようなわざわいが原因となっているのでしょうか、どのような誤りによって起こったことなのでしょうか。


〈感想〉

今回読んだ部分で大事なのは、以下の2点かなと思います。

・人々は仏法を信じて三宝を敬っており、為政者も心を尽くしてさまざまな施策を行っているにもかかわらず、いっこうに世のなかが良くならない

・どのような「誤り」によってこの災難が続いているのか

「仏法を信じることは善いことのはずだし、為政者も悪政を行っているわけではないのに、災難ばかりが続く。一体私たちはどのような「誤り」を犯しているのだろうか?」というのが、この旅人の疑問なのかな、と思いました。

◇◇◇

今回の記事は以上になります。次回からは、いよいよ主人(日蓮聖人)の返答です。楽しみですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、また。



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