人生で一番痺れたプレゼンの話
入社5年目の12月のこと。
ある既存客先向けのシステム入替の提案でプレゼン役を任された。
社内の多くの人達が関わり、商談規模も大きく、何よりも客先の将来を担う重要なシステム提案のプレゼン。プレッシャーが両肩に重くのしかかった。
1.提案書vs 彼女との初クリスマス
当時提案したのは単品による在庫管理システムだ。それまで客先の各店舗では単品レベルでの在庫データを管理できていなかったため、商品を発注する際は、毎回手作業で商品の在庫数を数えて不足分を発注していた。
これまでの経験と勘に頼った発注手法をやめて、「リアルタイムで在庫数を自動カウントし、発注推奨数を算出するシステムを作る」というのが提案の最大の目玉だった。
このプロジェクトに社内で直接関わっていた人数はざっと20人はいたと思う。今ではちょっと想像し難いが、提案資料作成開始から約2週間、ほとんど毎日タクシー帰りで、深夜まで作業していた。
提案資料の大まかな構成は、
客先業務を知り尽くしているコンサルのTさんによる書き殴りのメモを解読しながら、新たな業務運用フローとシステムイメージをパワーポイントの資料に落とし込みつつ、
米国本社から帰国したマーケティングアナリストのKさんに業界分析をしてもらい、競合他社の売上や利益率の比較データをグラフ化して、客先が目指すべき方向性の裏付け資料を作成したり、
情報分析を担うデータウェアハウスによる将来の需要予測システムへの拡張提案を組み込んだりと、かなり熱の入った盛りだくさんな内容だった。
プレゼン当日は、
忘れもしないクリスマス明けの12月26日。
そして運悪く、その年の11月から付き合い始めた彼女と初めて過ごすクリスマスと重なっていた。
レストランはどこも混んでいるだろうからと、彼女の提案で自宅でちょっとお高めのワインとケーキを用意してクリスマスを一緒に過ごそうと約束していた。
一方、提案資料作成も佳境に入っていて、クリスマス明けの提出期限に向け、プロジェクトに関わっている人達は皆遅くまで頑張ってくれていた。
早く帰らねばと思いつつも、自分だけ帰ることは到底無理だと判断し、オフィスの外に出て電話をかけたのだが、、
「24日も25日もどっちも仕事で帰れないなんておかしいでしょ!私と仕事どっちが大事なの?!」
「ホントにごめん!この埋め合わせは必ずするから!」
ベタなドラマの台本のようなやり取りをしながらも、怒る彼女を尻目に仕事に没頭したのだった。
2.徹夜明けで迎えた運命のプレゼン当日
プレゼン本番当日は、徹夜明けで迎えた。
提案資料が完成したのが深夜3時頃。
そこから朝にかけて、薄暗い食堂エリアで一人黙々とプレゼンの練習していたのを覚えている。
数駅先の客先オフィスに向かう道すがら、
上司がエナジードリンクを手渡してくれた。
緊張で渇いた喉に甘酸っぱい炭酸が染みた。
プレゼン開始の5分前に客先オフィスに到着し、
大会議室に通された。
コの字型にセットされた長机に沿って、
客先の役職者がズラッと並んで座っていた。
私たちは総勢5名くらいだったと思う。
対面になるよう設置された長机の席に陣取り、
プレゼンターである私はスクリーンの脇に立った。
私から見てちょうど正面の奥には、
その場にいた中で一番偉い常務取締役が座っていた。
ただでさえちょっと厳つい強面なのに、
眼鏡の奥の鋭い眼光が突き刺さり、
冷や汗が背中を流れるのを感じた。
そして無我夢中でプレゼンを始めた。
スクリーンを指す手は震え、
緊張で何度も声が裏返ってしまった。
約1時間のプレゼンを終えた瞬間、
首の後ろから後頭部にかけて
シュワーっと痺れる感覚が走った。
プレゼン後の質疑応答のやり取りは、
ほとんど覚えていない。
客先オフィスを出た瞬間、上司が
「よくやった!客先の反応もかなり良かったぞ!」
と労ってくれた。
私は全く気づかなかったのだが、
上司はプレゼンの最中、
「誰がどのタイミングで頷いていたか」
「何の説明の時に誰がメモを取っていたか」
を全て記録してくれていたのだと後で知った。
3.韓国料理屋での一杯のビール
帰りの道すがら、
まだ午後3時過ぎだったが、
上司が「一杯やっていこう!」と
駅前の韓国料理屋に二人で入った。
店の中には他の客はおらず、私たち二人だけだった。
銀色の四角いテーブルに、丸イスが並んだ庶民派の食堂という雰囲気。
瓶ビールとおつまみを頼み、
小さなグラスにビールを注いでもらう。
「乾杯!」
ホッとした気持ちと共に
一気に飲み干した瞬間、
自分の中で何かが弾けた。
ただただ涙が止まらなくなった。
呼吸もままならず、
肩を震わせながら、
数分間泣き続けた。
「ウチは現行システムの既存ベンダー。失注するということは、先輩達が守ってきた大事な看板を他のベンダーに奪われるということ」
「多くの関係者が関わり、社内でもかなり注目されているこの案件を落とすことは絶対に許されない」
「もし、このプレゼンを失敗し、失注したらその全責任は自分にある」
空になったグラスをテーブルに置いた瞬間に、「必死に目を逸らして感じないようにしていたプレッシャー」を食い止めていた精神的な箍が外れたのだと思う。
後にも先にも、プレゼンの後に感極まって泣いてしまったのはこの一度だけだ。
4.エピローグ
この案件は、年明け早々の厳しい価格交渉を経て、晴れて受注となった。約10ヶ月をかけて構築したこの新しいシステムによって、劇的な業務効率化と全社規模での商品在庫の最適化を実現した。
その後この客先は一気に成長し、
今では全国に150店舗以上を展開している。
当時5年目だった自分のプレゼンは、取りわけ上手くできたわけでもなく、聴衆の反応を見る余裕もなく、ひたすらスクリーンに映し出されるスライドを、手に汗握りながら必死で説明した、というレベルだった。
だが、20代後半の若かりし日に、周りの人たちの思いを背負って臨んだ渾身のプレゼン経験は、「ここぞという場面で歯を食いしばって踏ん張れる土台」を固めてくれた。
小手先のテクニックではなく、魂と情熱を込めたからこそ、相手の心を動かすことができたのだと思う。
ちなみに、初めてのクリスマスを一緒に過ごせなかった当時の彼女が、その翌年の春に結婚した今の奥さん、というのがこの話のオチである。(笑)
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