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偏差値38かつ休みがちな難病精神疾患持ちからの医学部合格の軌跡⑥再受験2年目
再受験2年目に通った予備校は相性が本当に合わなく、毎日のように親に塾の愚痴を言ったり先生といざこざがあったのを覚えています。たとえば、小論文対策や私が医療関係や医師に関して考えていることを否定されたり、医学部の面接対策で志望理由や回答内容に関して、自分の意見を取り入れてもらえないことが多く、ただ塾に行った通りに言えと言われ発言内容を強制されていました。例を挙げると、私の意見としてはただ治療する医師だけで無く患者さんの悩みや不安も一緒に考えて、自分だけで無理なら他職種と連携できるような医師になりたいと言ったのですが、それは医療の倫理に反するしただ治療のみをやれと言われたことがあり意味がわからなかったです。そして途中でコロナに感染し、持病により40度以上の熱が1週間以上続きとても治りづらく治った後の後遺症も苦しかった時期がありました。その時に普段の塾生活でもコロナの後遺症で自分の病気に関する悩みや不安を相談したり、辛いことを言ってもまともに取り合ってもらえなかったことがあります。さらに、個別指導の授業中、自分が本気で考えた回答をしただけなのに真面目に答えろ。舐めとんのかとキレられたことがあります。それらの毎日の不満が溜まりに溜まったことや、持病の身体疾患や精神疾患の症状、コロナの後遺症の苦しさ、脱毛症の最もひどい時期だったので周りと会いたく無い思いも相まって予備校で授業を受けるのでは無く、家の近くの自習室を借り、そこで勉強をしていました。ただ今思えば塾のことは考えすぎていたかもしれません。しかし、勉強をしててもコロナの後遺症や精神疾患の症状、脱毛症のことばかり考えていて、毎日の総勉強時間10時間のうち集中して勉強できたのは2時間も無いかもしれません。そんなこんなで受験になり、模試の偏差値はあまり振るわなかったのですが、それでも着々と成績は伸びていき2年目には一次合格は帝京大学と金沢医科大学という去年の倍になりました。自宅受験のためこの模試の結果はあまり正確で無いです。なぜなら、悪いことだと思いますが、制限時間を超えても解ける分を全て解いて提出していたからです
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今思えばなぜ伸びたのか不思議でなりません。
ただ、この年も「私の病気について② 精神疾患について」に記載してあることが原因で、2次合格には届きませんでした。しかし、この年で親との約束だった2年間の受験勉強の支援を打ち切られ芝浦に戻らないといけないようになりました。
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当時の脱毛症の様子