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偏差値38かつ休みがちな難病精神疾患持ちからの医学部合格の軌跡⑦ 再受験3年目〜医学部合格

一次合格数が倍になったものの父との約束だった2年間の医学部受験のための援助が打ち切られました。そもそもなぜ親は援助を2年間に設定したのかという話ですが、金銭的な面と子供の大切な若い時間が無駄になってしまうという不安からくるものでした。6年間の医学部の学費はなんとかして準備していただけましたが、予備校代までこれ以上払ってしまうと家族の生活に支障が出てしまうことをよく言っていました。また、子供の大切な時間が浪人を重ねるにつれ無駄に無くなっていってるので、もし医学部に合格できたら良いが合格できない場合、芝浦卒業後、年齢が25歳とだいぶ年齢を食っているので就職先がなく路頭に迷うことになることを危惧していました。それでも芝浦は頭が良くて企業受けが良くまだ就職先が見つかるのでは無いかという理由から2年間の約束にしていました。しかし、当時の自分は親の意見は理解できるものの着々と一次合格数が増えているので、このまま辞めてしまったら無駄になるし来年こそは合格できる!と満ち溢れる自信は無いもののそう思っていました。ですので、今年の予備校代はサポートしなくて良いからもう一年だけ医学部受験させてくれ!と親に頼み込みました。その後、確かに一次合格の数が増えているし、予備校代を息子が全て出すなら許可するということを言ってくださいました。その時はとても嬉しく、なんとかして受かりたい!と思いました。その後まず予備校代をどうしようかと考え、銀行の融資や教育ローンに相談してみました。相談した矢先に借金するくらいなら親戚の人が援助をしてやると言っていただき予備校代の面は解決しました。ほんとに親戚運や親運に恵まれている方だと思います。ほんとにいつかはめちゃくちゃ恩返しをしたいです。
そうと決まれば早速次のステップに進みました。まず、今まで一次合格はしていてもなぜ二次不合格をするのかの理由を徹底的に分析をしました。そのために、メディカルラボの医学部合格診断や京都医塾の京都留学というのも利用して分析しました。分析してわかったことの一つに、実家通いだと朝遅く起きてしまい遊んでしまうので、全寮制で親元を離れて徹底的に管理をしてくれる予備校を探しました。また、自分の精神的なストレスや病気の症状を緩和していただけるところや苦手な面接対策をしっかりと行っていただける予備校も選ぶ条件の一つでした。必死に探すにつれ条件にマッチした予備校が見つかり5月上旬から、一人暮らしを始めそこの予備校に入塾しました。また、脱毛症に関しても治療の効果が出始めていました。結局3年目も精神病や脱毛症のストレスによって勉強に集中できる時間が少なかったのですが、これらの悩みを塾側が配慮してくださり自分でもそれらの悩みを考えた上で受験計画を立てることができました。一人暮らしの費用は毎月の親からの支給と貯金や不労所得でどうにか賄いました。そこの予備校はとても自分にマッチしていました。入塾当初の5月の全統記述模試の偏差値は51だったのが、入試前の模試では偏差値63に上昇しました。現役から数えたら偏差値は20近く上昇することができました。しかし、共通テスト模試は最後まで成績が良くなかったです。共通テストはまじで自分に合わなかったです。おそらく共通テスト模試の成績を見たらみなさんびっくりすると思います。


また、2回目の受験の一次合格は帝京と金沢医科の2校だけだったのが、3回目の時は一次合格数が8校にまで増え、結果そのうちの一校に補欠合格なものの見事二次合格をすることができました。合格した大学は記述式で偏差値も高く、面接難易度も高いのでそこの大学に合格は難しいと先生にも言われていましたがなんとか合格できました!やっと、医学部に受かり夢の大学ライフを送り順風満帆な6年間を過ごせる!…はずでしたが、物事はそう簡単には上手くいきませんでした。

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