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小説『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン 感想

アンドロイドという言葉を使ったのは『未来のイブ』という作品が初めて。

という話をいつの日か聞いていました。
そして今回読んでみることにしたのです。

※本記事は感想ですのでネタバレ配慮等はしておりません。


衝撃の第6巻第4章

この章が最も印象に残りました。
一番の盛り上がりと言っても良いのではないでしょうか?

エワルド卿の前に居るのは人造人間ハダリーではなく、その外見を好きになったアリシアです。

アリシアと話すうちにエワルド卿は”アリシアを愛そう”と心に決めます。
しかし、アリシアの姿をしたそれは、”私、ハダリーでございます”とエワルド卿に囁くのです。

驚きました。

エンターテイメントの要素はあまりない作品なのかなと思っていたのですが、ここで読者をアッと驚かせてくれました。

エワルド卿は以前からハダリー創造に躊躇いがあり、良心の呵責がある様に素振りを見せていました。

その前振りも含めて”やられた!”と僕は思いました。

僕だけでなくエワルド卿も同じように驚いたでしょう。
ここまでの流れで、完全にハダリーを恋人にする流れだと思っていました。

ヴィリエの構想が光った章だと思います。

男性優位

僕は男であるし、フェミニストでも男嫌いでもないのですが、本作は一貫して男性優位に感じます。

エディソンが女性の参政権に否定的だととれる個所もあったように思います。

またエディソンが女性を魔女的にとらえている節があります。
ただこれはエディソンの友人がある女性に誘惑され、お金を搾り取られ自殺してしまったと言うエピソードに起因しています。

ですのでエディソンは男性優位の考え方でしょうが、著者のヴィリエがそうとは限らないのかなとも思います。

エワルド卿に関しては知的な女性が好み、というくらいで男性優位とは思いませんでした。

ただ理想の女性を作ると言う作品の構成上、キャラクターが男性優位の考え方を持つのは仕方がないのかなと思います。

ある程度、無意識的にでも男性優位的な感性が無ければ、ハダリーも『未来のイヴ』も誕生しえなかったのではないかと思いました。

もちろん男性優位的である事を批判しているわけではありません。
1886年に連載を終えた作品だという事ですから、当時の事情もあったのでしょう。

アンチ・科学?

中盤まであたかもエディソン1人がハダリーを作り上げたかのように進行していきます。

しかし実際はソワナという一種の霊的な存在がエディソンに天啓を与えていたということが分かります。

ここで科学の発展はすばらしい! という話をしておきながら、人智を超える存在の登場。

科学を全面的に支持するのであれば、科学者エディソンが1人で作り上げたと言うストーリーにしても良いハズ。

そうしなかったヴィリエは科学の傲りを指摘したのかもしれません。

僕はヴィリエについて詳しくないし、ヴィリエの作品を今回初めて読んだので、断定はできません。

しかし科学なら何でもできる、という発想を否定する要素があるのではないかと思います。

エワルド卿がアリシアをハダリーに置き換えることを躊躇する事。

最終盤でハダリーは死んでしまうという事。

ラストにエディソンがハダリーの死を知って、窓の外の夜景を見て悲嘆にくれるという事。

科学は凄い! すべてを解決できる! という話にしたいのであれば、エワルド卿もあそこまで躊躇わないでしょうし、エワルド卿とハダリーが幸せに暮らして終わり、という締め方でも良いハズ。

しかしそうはしなかった。
ヴィリエは科学に対する過度な期待には反対だったのではないでしょうか。

長い!

この作品は全456ページ(創元ライブラリ)でした。

しかしとにかく長い! と僕は感じました。

ページ数の問題ではなく、本題に入るまでの前振りが長い。と思ったのです。

エディソンの賢さを示す文章が前半に多く、本題に取り掛かったのは全体の半分ほどまで読み進めてからだったように思います。

これは僕が現代人だからという事もあるでしょう。
しかし個人的には、長い…という感想を持ちました。

面白くないわけでは無いのですが、僕としては長かった…。

それからなんとなく、大衆向けというより、当時の知識人向けに書いたのかな?という印象も同時に受けました。
前述したとおり、エディソンの博学を示唆する文章が多かったのです。

『未来のイブ』になれなかったハダリー

さて、小説のタイトルは未来のイブです。
当然読者が想起するのは、聖書に登場するアダムとイヴのイヴですよね。

しかしながら本作に登場するハダリーはエワルド卿と幸せになる前に死んでしまいます。

ですので未来のイブには成れなかったという結末なのです。

もしエワルド卿とハダリーが幸せになって、人間とアンドロイドが結ばれる最初の事例を創れていたのなら、イヴとしての役割を果たせたのでしょうが…。

そう言った歴史的役割を果たす前にハダリーは死んでしまいました。

未来のイブにはなれなかったよ。
というタイトルなのかなと思います。

全体を通しての感想

全体を見ると、科学への期待上がる一方で、そこまでやっていいの? やれるの? という指摘と疑念があったかと思います。

またエワルド卿の躊躇いに人造人間の創造は宗教的な禁忌に触れているのかも、と感じました。

エワルド卿は自分からエディソンに泣きついたのに、ハダリーを創ろうと言う話になると、ものすごく躊躇う。

この辺りに、宗教的な感性が働いているように感じますし、本作を読んで長いと感じた一因になっているのかなとも思います。

個人的に後半に登場するソワナの存在がクトゥルフ神話的な上位存在のようで恐ろしかったです。
もしかしたら科学とオカルト同時に流行していたのかな、なんて想像しました。

そして前述のとおり、素晴らしかった第6巻第4章。

この本は全体的に面白さが後半に集まっているように感じました。

さて、ヴィリエは科学への行き過ぎた期待を指摘したのではないか?というのが僕の感想ですが、現代に生きる僕はハダリーの誕生に期待しています。

理想の女性、男性を作り出すことができれば、多くの個人的にな問題を解決することができるのではないかと思うのです。

セクシャル的なトコロから介護などの労働問題まで。

とにかく僕は期待していまsう。

しかしながら人造人間が誕生すれば、それはそれで課題も生まれるでしょう。

人造人間の扱いや人権をどうするのか。
感情があるのかないのか。
などなど…。

ですからアンドロイドですべてを解決! と言う様な期待はしない方が良いのでしょう。

ヴィリエもきっとそう考えている…かな?

とにかくアンドロイドという言葉を生んだ本作品を読んでおくことができて良かったです。

ここまで感想を読んで頂いた方々、ありがとうございました。


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